下田港で愛を叫べ!!

伊豆半島南端の地「下田」。言わずと知れた黒船来航の地であり、外国人に別れを告げるには相応しい場所であろう。これは前記事『モテない奴が外人にモテるってホント?』の続きになるのだが、ウジウジ男の本音を聞いて頂きたい。



彼女「キャシー」は、少し褐色がかった肌に真っ白な歯。目鼻立ちが整っており、ストレートな感情表現がその美しさを際立たせていた。「つーかオマエ外人なら誰でも良かったんじゃね?」という芯を食った質問には「ん?え、、いや、、」と困るしかないだろう。なぜなら図星なのだから。


「初めて」の人というのは恐ろしい。
相手にその気があろうがなかろうが本人がそう感じ取った時点で一節が始まるのであって、その厚さときたら他のページを破り捨てる勢いである。わたしは人間というものを平等に見ることを心掛けており、「何かクールでカッコいい」という中学生のような動機だが、これまでの人生に置いて役立つ局面が幾つもあったので「俺はコレが性に合う」と平等主義を貫いていた。例えば家族。一般的な嫁・姑問題や兄弟間の派閥争いなど、一つの家庭で起こっている事は社会の縮図なのだろう。コレに一喜一憂するのは止めよう、本筋の性格はコレで行こう、と大家族の中で育ってきた私の性格はある意味頑固であり、それが出会いの場の障壁になっていたのかもしれない。何にせよ私は遅ればせながら「初めて」に出会いそしてフラれた。アメリカ人の彼女に。


そもそも付き合ってすらいないが、私たち非モテ共は「大切な人」とアプローチされた時点で「付き合う」もしくは「婚約」に発展できる非常に便利なハートを持っており、その蒸発を押さえるために頭は常に冷やしておかなければならない。


「大切な人だから言いたかった。人生どうなるか分からないけど、その人と進みます」


と、言われ私はフラれた。
ここで彼女と私の見ている文節が違っている。彼女はメッセージが重くならないように「どうなるか分からない」と付け加えただけで、「進みます」というのは婚約への決意なのだろう。なのに私ときたら、


終わったぁ、、。ぐすん、、、。
うーん、、。ヤバい。立ち直れない、、。どうしよう、、。
あれ?ちょっと待って、、。「どうなるか分からない」って何??つまり??オレとキャシーも、、どうなるか分からないってこと?何これ?スゲーいい言葉、、。


と、終わった思い出を掘り返すつもりでいる。
こうなってしまうのは仕方がなく、飛びすぎているのである。せめて一段、いや、二段階格上人種である「関西人」の女性と付き合えていればこんな愚かな思考には至らなかったであろう。「ほんまアンタのこと好きやけど、アタシ行かなきゃ。またな」くらいの一言を食らっていれば耐性も付いただろうに、そもそも異人キャシーと知り合えたことが私にとって奇跡であって、良い夢は目覚めても中々抜けないものである。


いや、オレだってね。分かってるよノーチャンスだって。色々やったよ。仕事に没頭とか新しい出会いとか。でも消えないんだって!いつもは消える言葉がハートに巻き付いてるんだって!ブーメランだ。今までオレが逃げるために使ってきた「わかんない」が鎖付きで戻って来やがった、、。


ダメだ。このままだと不整脈になる。旅に出よう。静岡だ。緩やかな景色を見て心を落ち着かせよう。


とにかく暖かい所に逃げたかった。彼女もわたし同様に北国の冬を過ごしており、ここでひとり旅を選択している時点で勝負がついているのだが、負け姿くらいはカッコつけてもいいだろう。初めての静岡県は何故か富士山より伊豆半島に惹かれた。雄大な富士は決別には相応しくなく、下田の古い町並みを眺めている時、勝手に右手が動いた。


「キャシー久しぶり。今年はどうするの?同じ仕事?」


女々しいやり方だが、別れから半年以上経っており、いち「友達」としてなら自然な内容だろう。


「Waaa!!ZEN久しぶり!同じ仕事だよー。ZENは元気だった?」


返信が早く、やけにテンションが高い。
アメリカに戻っていなかったのが救いだが、何かいいことがあったのだろう。当然、私が「友達」として見ていないことは彼女も分かっており、長い在日期間で日本人はそっちにシフトチェンジしづらい民族だということも体験済みなのだろう。その事を折り込んだ上で、私は彼女からの報告を待っている。本当に女々しい奴である。


「僕はいつも元気だよ。キャシー何してるか気になっただけだよ」


「ワタシも元気ですよ!ZENは聞きたくないかもだけど、嬉しいことありました」


こちらの返信まで早くなった。鎖がほどけていくのがわかった。


「わかった!!やっぱり!!」


「Oh~!早いですよ!当たりね。ワタシ結婚しちゃったよ!ZENにも応援してくれると嬉しいです」


今さら涙など出ない。
これを待っていた。涙が出るとしたらそれは嬉し泣きだ。シチュエーションに酔いたいだけの泣き上戸だ。その後いくつかのやり取りを重ね、最後に「バーイ」と送った。おそらくコレが最後になるだろう。いや、最後にしなくてはならない。そのための死に場所探しだろう。





「こんにちわー」


早咲きの河津桜が咲く遊歩道を歩いていると、すれ違う人々が挨拶をしてくる。老夫婦に道も訪ねられた。持前の笑顔が戻っているのだろう。が、まだ何か胸につっかかっている気がした。


うーん。何か違う。
まだ春の訪れって気分じゃあない。キレイだよ。キレイだけど入って来ない。空にしよう。思いっきり叫んで全部空にしよう。


古典的だがコレが一番良いと、展望台のある小山に登った。太平洋が一望できる素晴らしい眺めで、おそらくこの景色は江戸時代から変わっていないだろう。周りには誰も居なく、叫ぶならこのタイミングだが何かまだ腑に落ちない。


うーん。コレも違う。
見届けてどうする。結局この距離をつめようとしないから、結果が出ないんじゃあないのか?距離とゆうか高さだ。もう俯瞰するのは止めにしないか?最後までコレは卑怯じゃあないか?足並みくらいは揃えよう。


そう思い、海抜ゼロ地点まで戻ってくると、絶好の島を発見した。その島は陸から細い一本道で繋がっており、転落の危険のため立入禁止のゲートがあったのだが、そんなのはお構い無しである。


来た。オレためのアイランド。
邪魔するなこのゲート。跨げる程度の立入禁止なんてたかが知れている。よいしょと、、。


すると


「あんちゃん、危ないよ」


と声をかけられた。おそらく釣人だろう。


あーもう。今のオレは立入禁止なの。
大丈夫、自殺とかしないから。そんな度胸ないから。でも、海保じゃなくて良かった。浮世離れした釣人なら通じる話もあるだろう。


「ちょっと大事な用があって、、。大事なことなんです」


「おっそうか。邪魔したね」


おそらく、この男も私に近い人種なのだろう。
男の表情に感化されたのか、島までの道のりに「思い出」が「想い出」となって戻って来る。


新天地まで追いかければ良かったのかな。
英語を習えば良かったのかな。
家族に紹介すれば良かったのかな。


未練はある。もうコレは物理的に解決するしかないのである。今まで出したことのない声で枯れるまで叫ぼう。目的地に着き、水平線が広がる。やっと平等になれた気がした。


アメリカの方向はどっちだ?彼女は中部生まれだ。中途半端な声じゃ届かないだろう。名前だけでいい。それで全て終わりにしよう。
大きく息を吸い込むと、蒸気の匂いがする気がした。この場所を選んで良かった。よし、行こう。


キャシィィーーー!!!


と、三回叫んだ。
こんなのはドラマの中だけでの解決法だと思ったが、声というのは素晴らしい。ヘトヘトになるまで練られた砲弾は、太平洋に向かって二人の門出を祝う「祝砲」となって消えていった。帰路につく私の足取りは軽く、それを見た釣人が話かけてきた。


「用、済んだかい?」


「はい。全部終わりました」。




終わりがあるから始まりがある。
割りと好きな言葉である。


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