東京の女

彼女は自分の事を回避型の鬱だと言っていた。そう発言する事で相手を牽制する狙いがあっただろうに私は「もし話したくなかったら遠慮しないで言って」という誠に不躾な台詞を吐いて彼女に近寄って行った。だって気になるんだもん、、。

 

 

 

 

よく、好きなクセに「興味がある」「気になる」という言い方をする奴は対象物を趣味化することで自分が傷つく事を避けている弱虫野郎である。漏れなく私もそれに当てはまり、照れ隠しからか根明のフリをして近づいていったが感受性の高い彼女にはおそらくバレていただろう。低レベルの私にだからこそ、あそこまで饒舌になってくれた、とそう思いたい。

 

 

私が東京に住んだことがない同様に、彼女も東京から出たことがないらしく今回のストーリーの舞台は山陰地方の旅館ホテルである。山陰と書けば鬱っぽく聞こえるが私たちのイメージとしては静かで人も柔らかいという理由がこの地に足を運ばせた。私にとっての大成功は学生達の存在である。どうやらこのホテルの主戦力は近くの国立大学の学生達であり、偏差値の高い彼らは波風を立てずに仕事をこなす能力に長けていた。接客経験がない私は存分に彼らのお世話になることが多く、その辺のプライドも皆無なのですぐに友達になることができた。大広間で一回り以上離れた学生達とキャッキャするのはこんなにも楽しいものだったのか、、。どうやら根明のフリをして旅生活をしているうちに本当に明るくなったらしい。

 

 

彼女にとっての不幸は丁寧な接客が出来てしまう所だった。彼女にとって接客とは、人と会話する動機付けであって「客」と割りきれる感情の上下幅が心地いいらしい。旅館ホテルと謳っていれば当然個室があり、そこに配属されるのは落ち着きのある和装の女達である。そこは歴戦のお局様たちで蔓延っており、フルスピードで表と裏の顔を使いこなす正に「大奥の間」であった。私もその場で仕事をしたことはあるが洋装の男子は治外法権といった感じでむしろ力作業担当で歓迎ムードでもある。標的にされるのはいつも女達であり、振り切ってムードメーカーに成れれば良いのだが、変に落ち着きのある「東京の女」は山陰の女達の敵になってしまったようだった。

 

 

従業員食堂で彼女と会うことが多かった。人混みを避けて遅めに来るので私は人混みの最後尾を指定席にするようにした。露骨過ぎると嫌われるので、わざと遅く食べるという小細工もせず、自分の口が軽い時にだけ話しかけることにした。

 

 

○○さん、あの人達と一緒でつらくない?

 

 

とは聞かない。

彼女は他人との関係を諦めることで波風を立てないようにしている。同情し合うことで仲間意識を高めていく一般的なやり方が彼女は出来ないらしく、鬱病の根本はこれの可否にある。軽率に同情する行為は彼女の傷をえぐりかねない。

 

 

「○○さんに教わった接客すごい役に立ってるよ。師匠が○○さんで良かったよ」

 

 

これでいい。

実際一番最初に教えてくれたのは彼女だし、淡々とポイントだけを教えてくれた。あまりにも淡々とし過ぎてその時は恐怖を感じたが、普段の彼女と比べると熱が込もっていたことに後々気付いた。教える事が好きなのだろう。知能が高い人の性と言ってもいい。

 

 

「ありがとうございます。わたし気が弱い人の気持ちが分かるんです。だって私自身が弱メンタルなんで。超豆腐って訳じゃないですけどね笑」

 

 

あ、やった。少し心を開いてくれた。

でもあなたメンタル強いと思うよ。みんなそう言ってるし、サボり方が不動なんだよね。堅豆腐かって言うぐらいビクともしないよね。

 

 

集中力の問題なのか彼女のサボりは人の二、三倍は長かった。我々派遣や学生にとってそれは気になる問題ではなかったが、現場のチーフ、お局様から見れば敵対するには十分な理由だろう。バカ丁寧な言葉遣いも機械染みていて、何よりキツく塗られたアイシャドウが仲間作りを拒んでいるように感じられた。だが、付け入る隙もある。脳の容量が広い人間は知識を排出し続けなければならない。彼女も様々な方法でアウトプットはしているだろうが面と向かって吐き出したい時もあるだろう。この薄暗い従業員食堂はそれには適した場所であった。

 

 

「僕は豆腐メンタルだよ。傷つきたくないから笑ってるけどね。自分でも暗いのか明るいのかよく分かんないや笑」

 

 

「私は完全に陰キャです。出不精でオタクで本ばっかり読んでますし。本当ダメなんですよ、、」

 

 

話しは続く。彼女との会話は0か100なので聞ける時にお腹いっぱい聞いておきたい。

 

 

「本当の陰キャは接客なんて出来ないよ。本ってマンガ??僕、ジャンプに人生捧げていた時期あるからそこら辺なら負けないよ」

 

 

彼女はそこから一時間半ぶっ通しで話し続けた。

アウトドアも嗜む半日の私が本物のインドアに勝てるわけもなく得意なジャンルで圧倒された。コマ割り、線、セリフ回しといった、まるでプロ目線からなる彼女の解説は時折、小説言葉を挟んだ遠回しなもので、にわかオタクである私には少々追い付かないものであったが、自分の知識が増えること以上に彼女の笑顔が見れたのが嬉しかった。オタク特有の畜生顔をしつつ熱弁を振るう様は、普段のキリ付いた姿からはかけ離れているが、両面持ち合わせているのが彼女の魅力だろう。どうやら私は二面性のある女性が気になる、というか好きになる傾向があるらしい、、。

 

 

 

 

彼女の前では田舎者を貫いた。

おれが勝っているのは実年齢だけだ、、。言葉だけは丁寧な友達語で興味のあることだけを問いかけた。浅い質問でも彼女にかかればコク深い答えになって返ってくる。彼女が育った環境は煌びやかなものではなく誤解を生まないよう「私は決して恵まれた環境ではなく、、」と会話に付け加えることが多かった。私もそこまで東京を神格化する程ガキではないが、彼女には好奇心旺盛な子供に写ったのだろう。あやすように昔話を聞かせてくれた。むしろ全て過去の話しといって良い。まだ三十前半の女性から未来の話が一つもないというのは危うさを感じたが楽しい会話をするのが一番であって、つらい過去も笑いに変える話術が彼女にはあった。あくまでオタク基準の話術だが、、。

 

 

「私の家、代々続くサラブレッド貧乏でして、、」

 

 

「何そのマキバオーみたいな呼び方?そんなに??カエルとか食べたことあるの??」

 

 

「そんな相楽佐之助みてーなことしねーわ」

 

 

「あ、ごめんなさい。でも大学行ったんでしょ?僕の家の方が貧乏そうだけどなぁ、、」

 

 

「その学費で今めちゃくちゃ苦労してるんですよっ」

 

 

「あ、そっか。ごめん」

 

 

確かに彼女は金欠だった。

給料日間近になると気だるさが増し、いつも以上に話しかけにくいオーラが漂っていた。カフェイン中毒の彼女にとって缶コーヒーも買えないというのは相当な苦行らしく、辛さを見かね500円を貸してあげると無邪気な笑顔が返ってきた。この笑顔さえ出来れば抱えている問題が全て解決できるのでは?と安易に思ったが「それで解決できりゃ世話ねぇ話だよ田舎もん」と突っぱねられるのが怖かった。彼女を含め兄弟全員が優秀だったらしく進学以外の選択はなかったらしい。その辺の空気感は田舎者の私には分からないが、現在までローンに苦しめられているのは事実であり、お金がなくてもハッピーという性格ではないだろう。東京に拘る必要がないと山陰に来たものの、出不精の彼女にとって劇的な変化はなく、いつまでも借金が付きまとう。「あといくら返すの?」と聞く度胸は私にはないし、今の関係を崩したくもない。そうする内に私の派遣期限が先に切れてしまった。

 

 

 

「次どこ行くんですか?」

 

 

「うーん。一旦実家帰って、それから考え中。○○さんは?」

 

 

彼女は未来の話をすると表情が曇る。

切れてしまいそうな危うさが常にある。

 

 

「私はもう少しいようかな」

 

 

人件費削減のための派遣切りはもう始まっている。

おそらく彼女も一、二ヶ月後には辞めるだろう。

 

 

「東京には?」

 

 

「わからない。もう家族には会わないかもしれないし、、。三十五歳までって、、」

 

 

何を?

三十五なんてもうすぐだろ。

 

 

彼女はたまに「死」というワードを出す。

人生に疲れたのか、それまでにやりたい事があるのか、そりゃ未来の先には死が待っているが鬱の人が言うと現実的すぎるのである。

 

 

「あっ。今のシーン。キラーカットですね笑」

 

 

「ん??キラー??KILLってこと」

 

 

「そう。殺すコマ。決めるコマですよ。マンガ好きなら覚えておいて下さいね」

 

 

不吉な言葉だな、、。

そう思い「またね」と言った。

 

 

薄暗い食堂で雨を眺める彼女は、キラーカットとして私の心に残っている。次のページをめくる行動を私はまだ起こせていない、、。