かさぶたマエストロになろう

切り傷、刺し傷に恐怖を感じる。が、擦り傷には悦びを感じる私は変人なのだろうか?暴力も医者も大嫌いである。他人からの攻撃には覚悟がいる。私にはそれがない。有るのは、かさぶたを剥ぐ悦びだけである。

 

 

 

 

思うに私はガキなのだと思う。

成長期の頃は楽しかった。砂利道をすっ転んで泣きわめき、寝る前に傷口の組織液を観察する。「これはあと一日かかるな、、」。黄色のの液体が赤黒い宝石へと変化していく様、いや、経過ではなく結果を見るのが好きだった。ドロドロした経過なんて見たくなかった。今でもそう。寝て起きて変化したモノがそこに有れば、結果なんて何でも良いのに、人はうるさく過程が大事だなんて言うもんだから、こっちも面倒になって旅に出る。過程なんてものは想像するから楽しいのであって、実際見てしまったら何の感動もないだろう。という事を未だに思っているからガキだというのに本人は「それでいい」と思っているから始末が悪い。さて今回は「かさぶた」という観点から始末の悪い男を紐解いてみようと思う。

 

 

 

 

堪え性のない人間は皆一様に絆創膏を嫌い、私もその内の一人であった。医学的に傷口を乾かすのは良くないと証明されているのにも関わらず、止血の役目を果たしたソレをゴミ箱に投げ捨てる様は、末っ子の我が儘さが滲み出ていた。傷痕が残ると分かっていたが、「別に足なら目立たないだろう」と打算的に考えられる十の頃から、かさぶた剥がしにハマっていった。冒頭でも述べたように私は小心者なので自ら傷を負いに行く度胸はなく、その反動あってか偶然負った傷には非常に歓迎的であった理由は、手頃な言い分が欲しかったのだろう。かさぶたになるような深い傷は家族も心配してくれる。晩飯の肉も一つ増える。風呂も入らなくていい。最高だ。治してなるものか。できた片っ端から剥がしに行ってやる。という思いが剥がす痛みを和らげ、触感を倍増させていった。とはいえ他に楽しい趣味など山程あり、テレビゲームに没頭するうちにかさぶたに逃げられるというのが一般人で収まれる範囲であろう。世の中にはこの範囲に収まらない特異な犯罪者もいるだろうが、私は自傷で留まれている真人間に育ったことに心底ホッとしているし、特異点とは誰にでも訪れるものだとも思っている。皆、「多傷」という特異点が訪れる前の慣らしとして自傷しているのであって、批判を恐れずに言わせてもらうと、リストカットや入れ墨の根本は我々「皮膚むしり族」と変わらない気がしてならない、、。要は意味がある行動だということである。

 

 

 

 

私の職場である建設現場はかさぶたの宝庫ではあるが、経験を積んだ私の皮膚は多少のケガには動じなくなっていた。それを突き抜けるモノとは、釘や丸ノコといった即病院送りになるケガしかなく、私の最も嫌うべき所である。

 

 

中々、作れないものだな、、。

 

 

それはそうだろう。基本的に警戒心が強いのである。それでいて切れるのも刺さるのも嫌だとなれば、かさぶたなど作れるはずもなく、おまけにこの男は「広さ」よりも「深さ」にこだわり始めていた。

 

 

薄っぺらいかさぶたなんてガキの時散々剥いできた。今さらそんなことに時間を奪われてたまるか。もっと脂肪に達するような、、かつ動脈は傷つけない、、そうだな、、肘か膝か脛だろうな、、。

 

 

 

 

数年後、そんな事はどうでも良いとギャンブルにハマっていた頃に願いは叶った。仕事が薄く、今日の日当はパチンコで稼ぐと息巻いており、キリが着いたので早上がりすると決めていた日だった。そんな中、現場には大量の資材が余っていた。閑散期には練習をかねて新人が現場担当になり、その際、嘘みたいな拾い出しで私たち職人を困らせることが多く、この資材、捨てるか返品の二択だが、そんなこと私にとってはどうでも良かった。早くパチンコに行きたい。

 

 

「ZEN吉さぁ~ん。コレどうしたらいいっすかねぇ~」

 

 

その監督が私に泣きついてきた。

早くパチンコに行きたい。

 

 

知らん。

社会人なんだろ?自分で考えろ。とゆうかお前の上司に聞けよ。見え見えなんだよ。「オレが捨てるの手伝おうか?」。言わねーよ。そういう量じゃねーんだよ。ドームでも作るんか?完全にコレ上司にも責任あるよね?監督不行届だよね?

 

 

という旨を青筋を立てながら優ーしく伝えてあげると、すぐさま上司に電話した彼は嬉しそうに言ってきた。

 

 

「ZEN吉さぁ~ん!何とかロットは返品ききましたぁ~。バラはこのまま捨てることにしま~す」

 

 

へぇー良かったね。

とゆうかいちいちオレに報告すんな。さっさとパチンコ行かせろ。

 

 

すると、けたたましい着信音が鳴り響き、新人君がペコペコし始めた。どうやら上司からの着信音は変えているらしい。

 

 

「えっ?はいはいっ!もちろんもちろん!えーっと、、今から??えっ?はい!行きます行きます!!大丈夫です!任せて下さい」

 

 

電話を終えた彼は、嘘みたいに下がった眉毛で頼み込んできた。

 

 

「ZEN吉さぁ~ん。僕これから上司と一緒に返品先に謝りに行かなきゃなんですぅー。何時に戻って来れるか分からないからコレ捨てといて欲しいんですぅー」

 

 

ピキッ。

青筋が増える音が聞こえたが、パチンコで勝つために徳を積むのも良いのかもなと思い、渋々引き受けることにした。

 

 

だが捨てる部材は一枚一枚が非常に重く、それをゴミかごに放り投げて行くうちにイライラが募っていった。先程までの余裕は一切なく、新人君の顔を思い出している。

 

 

あの下がり眉毛、、、。

ああいう奴にろくなヤツはいねぇ、、。自分のミスに甘く、人のミスに陰湿な絶対に成功しないタイプだ。恩を売るべきじゃなかった、、。ヤバイ、、イラつく、、。何かぶん殴りてぇ、、。

 

 

ゴミかごには板材が不揃いに積み重なっており、それを思いっきり踏んづけることでストレスを解消することにした。近所の目もあるので表情には気をつけ、表向きはゴミかご整理ということにしてバッキバキにしてやろう、、。皆さん、もし建設現場にいるサイコパスを見かけた場合、こういう内情をご理解頂きたい、、。

 

 

そして、

 

 

バッキーん!!

 

 

と鋭角に割れた板がシーソーの原理で私の脛を削り取った。素材は石である。作業着ごと脛の肉がえぐれている。

 

 

「ウウッ、、」

 

 

たまらず、ゴミかごから飛び出し、けんけんジャンプをしていると今度は頭を足場のカドに打ち付けた。これも出血ものである。一回で二発の大当たり。やはりパチンコに行かなくて良かった、、。痛みが和らぐに連れ、男の顔には少年時代の笑みが戻っていた、、。

 

 

 

 

 

脛のかさぶたはストーブの上で焼いたサツマイモみたいだった。歳のせいなのか傷の深さなのかは分からないが、赤黒いパリっとしたものではなく、黄色みがかった粘りけのあるかさぶたが出来上がった。よく風呂上がりのふやけた状態で剥ぐ人もいるが、私はそれに否定的である。排水口にへばりついているそれを見た時は非常に不快な気持ちになる。おそらく、もうろくしたジジイが人の視線を考えず不正行為を働くのだろう。断言するが、かさぶたとは固体であり、固体とは思い出である。いくら粘りけのある傷だろうが、治ればそれは過去のものであり、感傷に浸りたいのならその傷痕を眺めていればいい。痛みを伴ったの思い出アルバムくらいに思っていれば良いだろう。そういう意味では頭皮のかさぶたとは他の部位とは全く違ったものになる。

 

 

 

脛のかさぶたとは一週間でお別れしたが、頭のかさぶたとは三ヶ月間付き合った。悪化もしないのだが何故か回復もせず、カリカリ剥がすのが毎日の日課となり、気づくと一種の精神安定剤になっていた。そうなった理由は、やはり目で見えない位置にあるのが全てである。普通、回復の兆しがなければ不安になりそうなものだが、髪伝いに取れるかさぶたから傷口を想像するのは楽しく、また剥がす定量さえ守れば何の悪影響も無いことが分かった。これで他人に優しく出来るのなら自傷行為というものは推奨できるものかもしれない、、と思い始めていた頃、かさぶたの潮目が変わってきた。爪に引っ掛かる感触が深くなってきたのである。髪の毛で分断され、細切れになったものを剥がす無限ループが続くと思っていたが、徐々に肉厚が厚くなってきており、血も出るようにきた。どうやら終わりが近いらしい。

 

 

 

その時は直ぐに分かった。

つまんだ感触から想像するに「剥がす」というより「抜く」に近い肉片だった。それを抜くと血が多く出た。その固体には白くプニプニしたものがくっ付いており、これがかさぶたの「芯」という奴なのだろう。その後ネットで検索してみたが、これに出会えるのは稀らしい。こんなにスッキリとした関係になれる相手とは出会ったことがない。故に振り返らないし、もう起こらない。一つ突き抜けた思いである、、。