好きな人から言われりゃ全部正解

結局そうじゃない?恋愛に限った話ではなく好意を抱いている相手からの発言は刺さりやすい。好意から敵意に変わってしまえば「あ、あの時どうかしてたわオレ」とこの催眠術も解けるのだが、嫌いになる前に逃げるクセのある者はいつ迄も軽度な催眠術にかかり続けることになる。その結果薄っぺらな半透明な男が出来上がるのである。






昔はそうじゃなかった気がする。
敵を作る気はなかったが「いや、、」の口癖と早口が勝手に仲間の分別をしてくれていた気がする。潮目が変わってきたのは「うん。そうだね」が口癖になった三十代からであって、面白い話を聞く分母は増えたが、「爆笑」の数は今までと差ほど変わらず、皮肉なことにその爆笑を引き出してくれる相手は卒業したはずの「いや一族」なのだから悩ましい限りである。


だがある程度答えは出ている。
職人仕事の時はこだわりを持とう。こだわりなどと格好つけちゃいるが、それがまかり通るのは上位10%だけであとは融通の利かない社会不適合者である。もちろん私もこだわりを持つとなれば後者となり、「アイツ、また変なやり方して間違えてたぞ」と一服話に花を咲かせることになる。さらに旅先での体験談とフラれ話を付け加えることでお花畑は満開となり、職人界隈で私の存在は季節の風物詩のように欠かせないものになる。つまり、旅先とマッチングアプリ内のみ社会性を発揮し、仕事時では本来の非社会性を発揮するのが現時点での私の姿であり、結構満足はしている。なのに「アンタ全然出来てないから」とへし折ってきたのが今回の彼女である。




彼女の立ち位置は私に似ていた。
というより私が目指すべき場所にすでに立っているというか、好きだからそう思ったと言うべきか、、。以前記事にも書いたボランティア業務をしながらタダで宿泊できる仕組み「フリアコ」が彼女との出会いであり、生活をともにする訳だからよっぽど壁を作らない限りはすぐに仲間になることが出来る。私のライフバランス的に年二、三カ月をボランティア程度にゆっくりしたいのに対し、彼女は半年以上それをできる資金的余力があった。私が浪費しつつ貯めているとは逆に、同年代の彼女は堅実な資産運用をしていたらしい。職業は看護師でお金が無くなったら戻ると言っているが、彼女の堅実具合を見る限りはそうはならないだろう。仕事柄かベッドメイク業務も素早くこなし、私が勝っている所は筋力のみと言っていいだろう。


「初めまして~!今日からヘルパーとして参戦しました。よろしくお願いしますね」


「うわっ出た!」


これが彼女との初めのやり取りである。
このやり取りは私が舐められやすい顔をしている以外にもう一つ理由がある。まさかまさかの同郷なのである。旅人あるあるで自県以外を所狭しと駆け回っていると同県の者と会う確率は高くなる。だが同郷、同年代となれば中々な確率だろう。この前情報はあらかじめオーナーから知らされていたのでこのようなファーストコンタクトになったのである。


「出たってことはないでしょ。わざわざ○○さんに会いにきたのに」


「キモいキモい!」


彼女は自分のことを「わたし犬だもん」と言っていた。「そんな素振り1ミリも感じないけどね」と返すと「下の犬には立場が逆転するの」と言ってきた。


(都合のいい犬だこと、、)




確かにワガママ女という訳ではない。
その証拠にオーナーの指示は忠実に守るし、私が「もうちょい適当でいいじゃん」と甘えると「ちゃんとやりなさい」と叱ってくる。だがオーナーの陰口で盛り上がるくらいの許容はあり、要はイジリ上手な先輩といったところである。私は長年こういう異性が欲しかった。野郎同士のやり取りじゃ例え楽しくても知識にも行動にも限界があるのである。かと言ってアプリを通じて姉御肌の女性とマッチしてしまうと私自身、愛だの恋だのの呪縛に縛られてしまう。どうせ恋に発展するのなら「仲間」から。その錬金術を培うチャンスがようやく訪れたのである。


ゴハン行こ」

「今起きた」

「また寝る」

「じゃあ僕も」


時間はたっぷりあった。何故なら私たちは今ニートだからだ。大半の者はバイトと掛け持ちしながらフリアコをしているがそんな長時間労働に耐えきる体力などもう無く、故に価値観が合っている。「価値観の不一致」という都合の良い別れ言葉を置き換えると「時間の不一致」とも言えるだろう。お互い代謝も良かった。加えて栄養と味に詳しい彼女が決めてくれる店は体にも財布にも優しく、毎日の外食が楽しみだった。結果、声もでかくなる。


「ホントうるっさい!!」


「いやいや盛り上がってるってことじゃん」


「静かにしろ!アンタまさか初デートの時もこうじゃないでしょうね?」


「え、話題が合えばこうだけど、、。だってそれがデートじゃないの?」


「あのね、、。女子って楽しい振りが上手いの。男が思ってる以上にね。もっと静かにしてほしいの。質問とか疲れるの。凪な時間が大切なの」


「うそ、、。じゃあ僕の今までの方程式は、、」


「全部間違ってるよ」


「いやっ!全部ってことないでしょー」


「じゃあアプリであった子と二回目はあったの?」


、、、、、、、、。


「そうゆうこと」


痛い。痛すぎる、、。




まだまだある。
論理的に弱点を攻撃してくる彼女だが無神論者という訳ではなかった。日本全国どの散歩コースにも神社や寺があり、それを見つける度、目を輝かせるパートナーとの散歩は無心論者の私にとって少々辛いものがある。もちろん説教対象である。


「ねえ、アンタさぁ、、。なんでさっきアタシがお祈りしてる時ポケットに手突っ込んでボケーっとしてたの?本当ムカついたんだけど」


「あ、ごめん。だって怒ってる素振りなかったし。僕あんま神社興味ないし」


「神様の御前で怒れるわけないでしょ!!興味なくても並んで手くらい合わせろって言ってんの。何でそうゆうの大事にできないの!?」


「いや僕だって年一回くらいはお参りするけどさー。それで十分じゃん。あんまやりすぎると神様嫉妬するって」


「ああもう、、。だからモテないんだよ?結局ね、いくら小手先を磨いたところで最後は運なの。その運とか縁っていつ巡ってくるかわからないの。だから女子ってそうゆうのを大事にしている子が多いんだよ?それがわからないなんて、、。マジで終わってる、、」


、、、、、、、、。


「何?なんか反論ある?」


いや。まだ始まってねーし、、。




彼女の言い分に反論できないのは彼女が結果を出している人間だからである。常に彼氏がおり、現在もいながら束縛されずに飛び回っている彼女の姿は私の目指すところであり、憧れからか「何でモテるの?」とストレートな質問をぶつけてしまった。


「何?それはアタシの容姿が大したことないクセに何でモテるのってこと?」


「違う違う。そういう意味じゃない。○○さん可愛いじゃん。ただ恋愛アドバイザーとして教えて欲しいのさ」


「そういう意味にしか取れないけどねー。まぁいい、教えてやるか」


極々簡単なことである。
ただ相手に好意を示して告白されやすい状況をつくるだけである。それなら私も近しいことをやっている気がするが結果が出ない。そこで男女の差が出る訳である。


「アンタはさー逆なんだよねー。誰にでもウンウン言ってんなって感じがするんだよね。まぁ相手に告らせるならそれでもいいんだけどさ。アンタだって誰でもいいってわけじゃないんでしょ?そしてチョット図星突かれたら焦るでしょ?肝心な時に肝心なことが言えないとダメなんだよ」


、、、、、、、。


「ちょっといい雰囲気になっても押しが弱いよね。女の子ってそうゆうの全部見抜いてるからね」


、、、、、、、。


「そうだ!寅さんだ!古い作品なんだけど寅さんはね、旅先で毎回いい感じになるの。でも告白する度胸がなくてその恋は決して成就しないの。面白いから絶対見るべきね」



ラ~ラリラララ~
男はつらいよ』全48作勉強中です。

温泉で死ぬのも悪くない

皆さんは葬式以外で死人の顔を見たことはあるだろうか?私はある。そしてその場に立ち会った。あの顔を見る限り大往生だった。と誠に勝手ながらこの記事を弔辞とさせて頂きたい。

 

 

 

死に方を考えるほど切羽詰まっちゃいないが、そうなった時のため、早く安楽死の法律が可決してくれないかなと思っている今日この頃である。血の通ってない言い方をすると、死ぬのも殺すのも度胸の問題なのだろう。そう考えると意気地無しの私がどちらかを成し遂げるには事故以外に有り得ない。そう、まるで今回のように、、。

 

 

家庭内事故の四割が溺死というデータが出ている以上、温泉に通っていればいつかは死に直面するだろう。もちろん、そんなの意識して湯に浸かっている訳じゃないが、のぼせてフラついた時、魔が差すことはある。

 

 

このまま倒れたらどうなるんだろう?

気持ちいいのかな?そうゆう企画モノってあったけな?それともビデ倫に引っ掛かるくらいキワモノなのかな?だとしたら、、

 

二位には来るな、、。オレの好きな死に方ランキングの。一位は不動。エロい夢見ながら死ぬこと。いや。むしろ女湯でこれが出来ればワンツーフィニッシュになるんじゃ、、そのためには湯が切り替わるタイミングで、、う~ん、むにゃむにゃ、、。

 

 

もしかしたら私たちの想いは繋がっていたのかもしれない。彼と体の繋がりを持ってしまった今、あの出会いは何かの引力だったと思った方が辻褄が会うのである。

 

 

 

 

何で今日に限ってカレーが売り切れ??

 

 

土曜の夜、熟睡するためにカレーを食ってから温泉に入るというルーティーンがまず崩れた。「ゴメンゴメン」と国民食が切れたことに責任を感じたオバチャンが茹で玉子をプレゼントしてくれた。それを秒で平らげた私は湯に直行し、この時点で30分のタイムラグが生じている。カレーじゃないなら歯も磨かなくていい。空腹の方が寝付きもいいだろう。

 

 

対して彼。

当ホテルに関係する重役だったらしく、先程までコンパ付き宴会で宜しくやっていたらしい、、。羨ましい限りである。どれだけ飲んだのか、他の役員が早風呂で切り上げているにも関わらず、一人露天風呂に残ったらしい、、。まさかコンパを連れ込んだ訳じゃあるまいな、、。死人にくちなしである。

 

 

「ちょっとぉー!!手伝ってぇー!!」

 

 

湯に浸かる間もなく指名された。

露天風呂に浮いている彼を発見したのは清掃のオバチャンである。常連客である私とは良く話す仲で、自分の裸を見られている女性の頼りを断るという選択肢はない。彼女は他の男手を探しに行った。何故か週末なのに客がいない。やはり宜しくやっていたのではあるまいな、、。しばらく彼と二人きりである。

 

 

う、浮いてる、、。

 

 

火サスさながらの水死体を素人目で判断出来るわけもなく、取り敢えず引き上げることにした。うつ伏せ状態の頭が湯から離れると「ググゥーッ」という音が彼の口から漏れた。

 

 

やった!生きてる!

早く水を吐き出させよう!

 

 

後で救急隊に聞いたところ死体でもこういう音は出るらしい。だが私には声に聞こえた。肌は温かみもあり、何より表情が生き生きしていた。水さえ吐けば飛び上がるだろう。

 

 

「おーい!聞こえますーっ?今からお腹押しますよーっ!」

 

 

出来るだけ野太い声で言った。

生きていて欲しいが、勘違いされて抱きつかれるのもゴメンである。だが、いくら押しても揺すってもビクともしない。直接心臓に耳を当ててみた。

 

 

と、止まってる、、。

 

 

おい。嘘だろ?

あんた今「ぐぅーぐへへ」って言ったやんけ。死んでるんならそんな紛らわしい声と顔しないでくんない?どっち?まだ夢の中がいいの?邪魔しない方がいいの?取り敢えず心臓マッサージするけどいい?

 

 

その頃になるとAEDを持った男手が集まってきた。音声ガイダンスに従って心臓マッサージを試みるが、胸骨というのは嘘みたいに薄く感じた。

 

 

これマジで骨折れるけどいいの?

バッキバキの骨、心臓に刺さっちゃうけどいいの?後で、女の子が良かったって怒らないでね。

 

 

既に電気ショックは作動しているが反応はない。やはり折るくらいの勢いで押さないと意味がないのだろうか?男達が戸惑っている所に次のガイダンスが流れる。

 

 

「鼻をつまみ、口を大きく開け、人工呼吸をしてください」

 

 

男達に一秒の沈黙が訪れる。その全員の気持ちを代弁しよう。

 

 

マジで??

普通に酒くせーんだけど、、。ちょっとプクプク言ってるし、、。誰?誰がやるの?コンパ呼んでくる?いねーよ。お前やれよ。ムリ。あ、俺カレー食ったからムリだわ。失礼じゃん。じゃあオレも。カレー食ってない奴やれよ。いや、オレだってムリっすよ歯磨いてないし。大丈夫だ、全員磨いてねーから。早くやれよ茹で玉子。ほら早く。

 

 

「うおー!じゃあオレやります!!」

 

 

最初から私がやる運命だったのだろう、、。

人工呼吸といっても、吹くだけで吸う必要はない。角砂糖を溶かすが如きヘビィ級のをお見舞すればいいだけである。

 

 

ブフゥーっ!!

 

 

空気が漏れない程ディープなモノを吹き付けた。

すると彼の口から酸味がかった内容物が逆流してきた。周りから安堵の声が上がる。息を引き返したと思ったのだろう。私もそう思ったが心臓は止まったままである。

 

 

いや、死んでるんかい。

じゃあ今のゲロは何?お前となんかキスできないって意思表示?いや、分かるけど、、。何かの縁じゃん。ちょっと顔色も悪くなって来てるよね。もう少しで救急隊着くから我慢してよ。たぶん女性もいるからさ。

 

 

このやりとりを二往復くらいした後、救急隊が到着し蘇生を試みたが、彼が生き返ることはなかった、、。

 

 

男手がAEDを作動するまでの、彼と二人きりの時間は約三分間であった。初期対応を間違えると1分毎に10%生存確率が下がると言われ、その三分間、私が適切な処置が出来たとは言い難い、、。俺が殺した、などと思い上がる気はないが、無関係を貫く度胸もない。この脚色させてもらった記事をがどうか恨まないで欲しい。あなたの朗らかな笑顔に心からのご冥福をお祈りしています。享年七十七。

東京の女

彼女は自分の事を回避型の鬱だと言っていた。そう発言する事で相手を牽制する狙いがあっただろうに私は「もし話したくなかったら遠慮しないで言って」という誠に不躾な台詞を吐いて彼女に近寄って行った。だって気になるんだもん、、。

 

 

 

 

よく、好きなクセに「興味がある」「気になる」という言い方をする奴は対象物を趣味化することで自分が傷つく事を避けている弱虫野郎である。漏れなく私もそれに当てはまり、照れ隠しからか根明のフリをして近づいていったが感受性の高い彼女にはおそらくバレていただろう。低レベルの私にだからこそ、あそこまで饒舌になってくれた、とそう思いたい。

 

 

私が東京に住んだことがない同様に、彼女も東京から出たことがないらしく今回のストーリーの舞台は山陰地方の旅館ホテルである。山陰と書けば鬱っぽく聞こえるが私たちのイメージとしては静かで人も柔らかいという理由がこの地に足を運ばせた。私にとっての大成功は学生達の存在である。どうやらこのホテルの主戦力は近くの国立大学の学生達であり、偏差値の高い彼らは波風を立てずに仕事をこなす能力に長けていた。接客経験がない私は存分に彼らのお世話になることが多く、その辺のプライドも皆無なのですぐに友達になることができた。大広間で一回り以上離れた学生達とキャッキャするのはこんなにも楽しいものだったのか、、。どうやら根明のフリをして旅生活をしているうちに本当に明るくなったらしい。

 

 

彼女にとっての不幸は丁寧な接客が出来てしまう所だった。彼女にとって接客とは、人と会話する動機付けであって「客」と割りきれる感情の上下幅が心地いいらしい。旅館ホテルと謳っていれば当然個室があり、そこに配属されるのは落ち着きのある和装の女達である。そこは歴戦のお局様たちで蔓延っており、フルスピードで表と裏の顔を使いこなす正に「大奥の間」であった。私もその場で仕事をしたことはあるが洋装の男子は治外法権といった感じでむしろ力作業担当で歓迎ムードでもある。標的にされるのはいつも女達であり、振り切ってムードメーカーに成れれば良いのだが、変に落ち着きのある「東京の女」は山陰の女達の敵になってしまったようだった。

 

 

従業員食堂で彼女と会うことが多かった。人混みを避けて遅めに来るので私は人混みの最後尾を指定席にするようにした。露骨過ぎると嫌われるので、わざと遅く食べるという小細工もせず、自分の口が軽い時にだけ話しかけることにした。

 

 

○○さん、あの人達と一緒でつらくない?

 

 

とは聞かない。

彼女は他人との関係を諦めることで波風を立てないようにしている。同情し合うことで仲間意識を高めていく一般的なやり方が彼女は出来ないらしく、鬱病の根本はこれの可否にある。軽率に同情する行為は彼女の傷をえぐりかねない。

 

 

「○○さんに教わった接客すごい役に立ってるよ。師匠が○○さんで良かったよ」

 

 

これでいい。

実際一番最初に教えてくれたのは彼女だし、淡々とポイントだけを教えてくれた。あまりにも淡々とし過ぎてその時は恐怖を感じたが、普段の彼女と比べると熱が込もっていたことに後々気付いた。教える事が好きなのだろう。知能が高い人の性と言ってもいい。

 

 

「ありがとうございます。わたし気が弱い人の気持ちが分かるんです。だって私自身が弱メンタルなんで。超豆腐って訳じゃないですけどね笑」

 

 

あ、やった。少し心を開いてくれた。

でもあなたメンタル強いと思うよ。みんなそう言ってるし、サボり方が不動なんだよね。堅豆腐かって言うぐらいビクともしないよね。

 

 

集中力の問題なのか彼女のサボりは人の二、三倍は長かった。我々派遣や学生にとってそれは気になる問題ではなかったが、現場のチーフ、お局様から見れば敵対するには十分な理由だろう。バカ丁寧な言葉遣いも機械染みていて、何よりキツく塗られたアイシャドウが仲間作りを拒んでいるように感じられた。だが、付け入る隙もある。脳の容量が広い人間は知識を排出し続けなければならない。彼女も様々な方法でアウトプットはしているだろうが面と向かって吐き出したい時もあるだろう。この薄暗い従業員食堂はそれには適した場所であった。

 

 

「僕は豆腐メンタルだよ。傷つきたくないから笑ってるけどね。自分でも暗いのか明るいのかよく分かんないや笑」

 

 

「私は完全に陰キャです。出不精でオタクで本ばっかり読んでますし。本当ダメなんですよ、、」

 

 

話しは続く。彼女との会話は0か100なので聞ける時にお腹いっぱい聞いておきたい。

 

 

「本当の陰キャは接客なんて出来ないよ。本ってマンガ??僕、ジャンプに人生捧げていた時期あるからそこら辺なら負けないよ」

 

 

彼女はそこから一時間半ぶっ通しで話し続けた。

アウトドアも嗜む半日の私が本物のインドアに勝てるわけもなく得意なジャンルで圧倒された。コマ割り、線、セリフ回しといった、まるでプロ目線からなる彼女の解説は時折、小説言葉を挟んだ遠回しなもので、にわかオタクである私には少々追い付かないものであったが、自分の知識が増えること以上に彼女の笑顔が見れたのが嬉しかった。オタク特有の畜生顔をしつつ熱弁を振るう様は、普段のキリ付いた姿からはかけ離れているが、両面持ち合わせているのが彼女の魅力だろう。どうやら私は二面性のある女性が気になる、というか好きになる傾向があるらしい、、。

 

 

 

 

彼女の前では田舎者を貫いた。

おれが勝っているのは実年齢だけだ、、。言葉だけは丁寧な友達語で興味のあることだけを問いかけた。浅い質問でも彼女にかかればコク深い答えになって返ってくる。彼女が育った環境は煌びやかなものではなく誤解を生まないよう「私は決して恵まれた環境ではなく、、」と会話に付け加えることが多かった。私もそこまで東京を神格化する程ガキではないが、彼女には好奇心旺盛な子供に写ったのだろう。あやすように昔話を聞かせてくれた。むしろ全て過去の話しといって良い。まだ三十前半の女性から未来の話が一つもないというのは危うさを感じたが楽しい会話をするのが一番であって、つらい過去も笑いに変える話術が彼女にはあった。あくまでオタク基準の話術だが、、。

 

 

「私の家、代々続くサラブレッド貧乏でして、、」

 

 

「何そのマキバオーみたいな呼び方?そんなに??カエルとか食べたことあるの??」

 

 

「そんな相楽佐之助みてーなことしねーわ」

 

 

「あ、ごめんなさい。でも大学行ったんでしょ?僕の家の方が貧乏そうだけどなぁ、、」

 

 

「その学費で今めちゃくちゃ苦労してるんですよっ」

 

 

「あ、そっか。ごめん」

 

 

確かに彼女は金欠だった。

給料日間近になると気だるさが増し、いつも以上に話しかけにくいオーラが漂っていた。カフェイン中毒の彼女にとって缶コーヒーも買えないというのは相当な苦行らしく、辛さを見かね500円を貸してあげると無邪気な笑顔が返ってきた。この笑顔さえ出来れば抱えている問題が全て解決できるのでは?と安易に思ったが「それで解決できりゃ世話ねぇ話だよ田舎もん」と突っぱねられるのが怖かった。彼女を含め兄弟全員が優秀だったらしく進学以外の選択はなかったらしい。その辺の空気感は田舎者の私には分からないが、現在までローンに苦しめられているのは事実であり、お金がなくてもハッピーという性格ではないだろう。東京に拘る必要がないと山陰に来たものの、出不精の彼女にとって劇的な変化はなく、いつまでも借金が付きまとう。「あといくら返すの?」と聞く度胸は私にはないし、今の関係を崩したくもない。そうする内に私の派遣期限が先に切れてしまった。

 

 

 

「次どこ行くんですか?」

 

 

「うーん。一旦実家帰って、それから考え中。○○さんは?」

 

 

彼女は未来の話をすると表情が曇る。

切れてしまいそうな危うさが常にある。

 

 

「私はもう少しいようかな」

 

 

人件費削減のための派遣切りはもう始まっている。

おそらく彼女も一、二ヶ月後には辞めるだろう。

 

 

「東京には?」

 

 

「わからない。もう家族には会わないかもしれないし、、。三十五歳までって、、」

 

 

何を?

三十五なんてもうすぐだろ。

 

 

彼女はたまに「死」というワードを出す。

人生に疲れたのか、それまでにやりたい事があるのか、そりゃ未来の先には死が待っているが鬱の人が言うと現実的すぎるのである。

 

 

「あっ。今のシーン。キラーカットですね笑」

 

 

「ん??キラー??KILLってこと」

 

 

「そう。殺すコマ。決めるコマですよ。マンガ好きなら覚えておいて下さいね」

 

 

不吉な言葉だな、、。

そう思い「またね」と言った。

 

 

薄暗い食堂で雨を眺める彼女は、キラーカットとして私の心に残っている。次のページをめくる行動を私はまだ起こせていない、、。

かさぶたマエストロになろう

切り傷、刺し傷に恐怖を感じる。が、擦り傷には悦びを感じる私は変人なのだろうか?暴力も医者も大嫌いである。他人からの攻撃には覚悟がいる。私にはそれがない。有るのは、かさぶたを剥ぐ悦びだけである。

 

 

 

 

思うに私はガキなのだと思う。

成長期の頃は楽しかった。砂利道をすっ転んで泣きわめき、寝る前に傷口の組織液を観察する。「これはあと一日かかるな、、」。黄色のの液体が赤黒い宝石へと変化していく様、いや、経過ではなく結果を見るのが好きだった。ドロドロした経過なんて見たくなかった。今でもそう。寝て起きて変化したモノがそこに有れば、結果なんて何でも良いのに、人はうるさく過程が大事だなんて言うもんだから、こっちも面倒になって旅に出る。過程なんてものは想像するから楽しいのであって、実際見てしまったら何の感動もないだろう。という事を未だに思っているからガキだというのに本人は「それでいい」と思っているから始末が悪い。さて今回は「かさぶた」という観点から始末の悪い男を紐解いてみようと思う。

 

 

 

 

堪え性のない人間は皆一様に絆創膏を嫌い、私もその内の一人であった。医学的に傷口を乾かすのは良くないと証明されているのにも関わらず、止血の役目を果たしたソレをゴミ箱に投げ捨てる様は、末っ子の我が儘さが滲み出ていた。傷痕が残ると分かっていたが、「別に足なら目立たないだろう」と打算的に考えられる十の頃から、かさぶた剥がしにハマっていった。冒頭でも述べたように私は小心者なので自ら傷を負いに行く度胸はなく、その反動あってか偶然負った傷には非常に歓迎的であった理由は、手頃な言い分が欲しかったのだろう。かさぶたになるような深い傷は家族も心配してくれる。晩飯の肉も一つ増える。風呂も入らなくていい。最高だ。治してなるものか。できた片っ端から剥がしに行ってやる。という思いが剥がす痛みを和らげ、触感を倍増させていった。とはいえ他に楽しい趣味など山程あり、テレビゲームに没頭するうちにかさぶたに逃げられるというのが一般人で収まれる範囲であろう。世の中にはこの範囲に収まらない特異な犯罪者もいるだろうが、私は自傷で留まれている真人間に育ったことに心底ホッとしているし、特異点とは誰にでも訪れるものだとも思っている。皆、「多傷」という特異点が訪れる前の慣らしとして自傷しているのであって、批判を恐れずに言わせてもらうと、リストカットや入れ墨の根本は我々「皮膚むしり族」と変わらない気がしてならない、、。要は意味がある行動だということである。

 

 

 

 

私の職場である建設現場はかさぶたの宝庫ではあるが、経験を積んだ私の皮膚は多少のケガには動じなくなっていた。それを突き抜けるモノとは、釘や丸ノコといった即病院送りになるケガしかなく、私の最も嫌うべき所である。

 

 

中々、作れないものだな、、。

 

 

それはそうだろう。基本的に警戒心が強いのである。それでいて切れるのも刺さるのも嫌だとなれば、かさぶたなど作れるはずもなく、おまけにこの男は「広さ」よりも「深さ」にこだわり始めていた。

 

 

薄っぺらいかさぶたなんてガキの時散々剥いできた。今さらそんなことに時間を奪われてたまるか。もっと脂肪に達するような、、かつ動脈は傷つけない、、そうだな、、肘か膝か脛だろうな、、。

 

 

 

 

数年後、そんな事はどうでも良いとギャンブルにハマっていた頃に願いは叶った。仕事が薄く、今日の日当はパチンコで稼ぐと息巻いており、キリが着いたので早上がりすると決めていた日だった。そんな中、現場には大量の資材が余っていた。閑散期には練習をかねて新人が現場担当になり、その際、嘘みたいな拾い出しで私たち職人を困らせることが多く、この資材、捨てるか返品の二択だが、そんなこと私にとってはどうでも良かった。早くパチンコに行きたい。

 

 

「ZEN吉さぁ~ん。コレどうしたらいいっすかねぇ~」

 

 

その監督が私に泣きついてきた。

早くパチンコに行きたい。

 

 

知らん。

社会人なんだろ?自分で考えろ。とゆうかお前の上司に聞けよ。見え見えなんだよ。「オレが捨てるの手伝おうか?」。言わねーよ。そういう量じゃねーんだよ。ドームでも作るんか?完全にコレ上司にも責任あるよね?監督不行届だよね?

 

 

という旨を青筋を立てながら優ーしく伝えてあげると、すぐさま上司に電話した彼は嬉しそうに言ってきた。

 

 

「ZEN吉さぁ~ん!何とかロットは返品ききましたぁ~。バラはこのまま捨てることにしま~す」

 

 

へぇー良かったね。

とゆうかいちいちオレに報告すんな。さっさとパチンコ行かせろ。

 

 

すると、けたたましい着信音が鳴り響き、新人君がペコペコし始めた。どうやら上司からの着信音は変えているらしい。

 

 

「えっ?はいはいっ!もちろんもちろん!えーっと、、今から??えっ?はい!行きます行きます!!大丈夫です!任せて下さい」

 

 

電話を終えた彼は、嘘みたいに下がった眉毛で頼み込んできた。

 

 

「ZEN吉さぁ~ん。僕これから上司と一緒に返品先に謝りに行かなきゃなんですぅー。何時に戻って来れるか分からないからコレ捨てといて欲しいんですぅー」

 

 

ピキッ。

青筋が増える音が聞こえたが、パチンコで勝つために徳を積むのも良いのかもなと思い、渋々引き受けることにした。

 

 

だが捨てる部材は一枚一枚が非常に重く、それをゴミかごに放り投げて行くうちにイライラが募っていった。先程までの余裕は一切なく、新人君の顔を思い出している。

 

 

あの下がり眉毛、、、。

ああいう奴にろくなヤツはいねぇ、、。自分のミスに甘く、人のミスに陰湿な絶対に成功しないタイプだ。恩を売るべきじゃなかった、、。ヤバイ、、イラつく、、。何かぶん殴りてぇ、、。

 

 

ゴミかごには板材が不揃いに積み重なっており、それを思いっきり踏んづけることでストレスを解消することにした。近所の目もあるので表情には気をつけ、表向きはゴミかご整理ということにしてバッキバキにしてやろう、、。皆さん、もし建設現場にいるサイコパスを見かけた場合、こういう内情をご理解頂きたい、、。

 

 

そして、

 

 

バッキーん!!

 

 

と鋭角に割れた板がシーソーの原理で私の脛を削り取った。素材は石である。作業着ごと脛の肉がえぐれている。

 

 

「ウウッ、、」

 

 

たまらず、ゴミかごから飛び出し、けんけんジャンプをしていると今度は頭を足場のカドに打ち付けた。これも出血ものである。一回で二発の大当たり。やはりパチンコに行かなくて良かった、、。痛みが和らぐに連れ、男の顔には少年時代の笑みが戻っていた、、。

 

 

 

 

 

脛のかさぶたはストーブの上で焼いたサツマイモみたいだった。歳のせいなのか傷の深さなのかは分からないが、赤黒いパリっとしたものではなく、黄色みがかった粘りけのあるかさぶたが出来上がった。よく風呂上がりのふやけた状態で剥ぐ人もいるが、私はそれに否定的である。排水口にへばりついているそれを見た時は非常に不快な気持ちになる。おそらく、もうろくしたジジイが人の視線を考えず不正行為を働くのだろう。断言するが、かさぶたとは固体であり、固体とは思い出である。いくら粘りけのある傷だろうが、治ればそれは過去のものであり、感傷に浸りたいのならその傷痕を眺めていればいい。痛みを伴ったの思い出アルバムくらいに思っていれば良いだろう。そういう意味では頭皮のかさぶたとは他の部位とは全く違ったものになる。

 

 

 

脛のかさぶたとは一週間でお別れしたが、頭のかさぶたとは三ヶ月間付き合った。悪化もしないのだが何故か回復もせず、カリカリ剥がすのが毎日の日課となり、気づくと一種の精神安定剤になっていた。そうなった理由は、やはり目で見えない位置にあるのが全てである。普通、回復の兆しがなければ不安になりそうなものだが、髪伝いに取れるかさぶたから傷口を想像するのは楽しく、また剥がす定量さえ守れば何の悪影響も無いことが分かった。これで他人に優しく出来るのなら自傷行為というものは推奨できるものかもしれない、、と思い始めていた頃、かさぶたの潮目が変わってきた。爪に引っ掛かる感触が深くなってきたのである。髪の毛で分断され、細切れになったものを剥がす無限ループが続くと思っていたが、徐々に肉厚が厚くなってきており、血も出るようにきた。どうやら終わりが近いらしい。

 

 

 

その時は直ぐに分かった。

つまんだ感触から想像するに「剥がす」というより「抜く」に近い肉片だった。それを抜くと血が多く出た。その固体には白くプニプニしたものがくっ付いており、これがかさぶたの「芯」という奴なのだろう。その後ネットで検索してみたが、これに出会えるのは稀らしい。こんなにスッキリとした関係になれる相手とは出会ったことがない。故に振り返らないし、もう起こらない。一つ突き抜けた思いである、、。

彼岸島みたいなジジイに怒られた

個人の感想なので許してほしい。年配の漁師の方を見ると全員、人気マンガ「彼岸島」のモブ吸血鬼に見える。オマケに、ほっかぶりを被った日には、牙さえ生えてるように見える。今回は若くして北海道を一周した時の話を書いていきたい。

 

 

 

 

 

当時二十歳、初めての長旅は突然決まった。

「どうせ暇なら旅でもしてくれば?」と少し気になっていた女性から言われ、これを成し遂げられれば彼女からの印象も変わるだろうという動機が第一であった。しかも時期は正月休み。地元の仲間とワイワイするのが若者の通例であるが、そういう場が苦手な私にとって正当な動機付けをくれたこの発言は嬉しかった。前から一人旅はしたかった。一人行動は出来ても一人旅をする度胸がなく、友達がいないオレ、という酒に長時間酔える自信がなかったからである。いやらしい保険もかけた。ただ地元が一緒なだけの「仲間」と呼んでいいのか分からない相手に「北海道を一周する。その証拠に各岬の写真を撮ってくる」と報告した。相手の反応が薄かったのは、決行を疑っている訳ではなく、私の人間関係の希薄さを見抜かれていたからである。事実、この旅以降それに拍車がかかり、現時点ではそれが「善いこと」だという認識である。

 

 

 

 

今思うと時期は冬で良かった。

夏だと旅行者が放つパーティー感に耐えきれず心が苛まれ、持ち前の脳内ツッコミも出来ずに旅を終えただろう。雪一辺倒だと思っていた景色も日本海、太平洋、オホーツク海と走る海岸線が変われば表情も一変し、この景色は雪道の運転に慣れている者の特権だと思われる。

 

年齢も丁度良かった。

職人は叩き上げという印象があるが、私の時代では既にホワイトな社員教育が進みつつあり、高卒社会人三年目として一番自由な時期でもあった、というか師匠に恵まれた。この人の放任主義のお陰で想像力が養われ、今こうしてブログを書けている。いくら師匠と言えど、弟子のプライベートと主人格には干渉しない方がいいというのが、ぬるま湯で育ってきた私の見解である。

 

 

 

 

初めての一人旅は今のような滞在型ではなく、通ったという結果だけが欲しかった。時間も金もなく、車中泊一日一食の貧乏旅行にすると決めており、せめてもの癒しにとご当地グルメと温泉を入ることだけを決めていた。出発点は札幌でそこから西回り。大まかに北海道をひし形で表すと、西の点を札幌・函館ということにしよう。函館までの日本海は荒かった。西回りを選択したことで海岸線では全て山側を走ることになるのだがこの選択も正しかった。たかが一車線分の違いだが滑ったら即海に落ちる、というのが慢性的なストレスになり、子供時代に感じていた恐怖は大人になっても拭えないものである。景色というのは安全な所から見るから綺麗なのであって小心者は無理をしない方がいい。北海道西側は特にトンネルが多く、オーシャンブルーを見に来た旅行者をガッカリさせるのことも多いのだが喜ぶ者もいる。それは釣り人。トンネル出入口にある駐車場を拠点とし、海物語に命を懸けるギャンブラー達である。実際、毎年何人も海に落ちて死んでいる。ライフジャケット着用うんぬんに限らず寒さで死ぬのだろう。こんな命知らずの奴らとは関わりたくないのだが私だって冒険の最中である。暖房を付けない省エネ運転で体が冷えたので、コンビニに立ち寄った所にコイツと出くわした。

 

 

 

ガンガンガンッ!!

 

 

「んだ入ってんのがぁ??」

 

 

用を足している時に邪魔された。

どうやら赤と青の色の判別も出来ないらしい。

 

 

というか目が見えているのかオマエ?

小だぞ。さっき俺がトイレに入ってくの見えただろ??

 

 

「はいはいすぐ出まーす」

 

 

「はやぐしろー」

 

 

ちょっとは待てボケ。

コッチだって出したくもねー透明なションベン振り絞ってんだから邪魔すんな。便座にかけてやろうか??

 

 

ガチャ。

 

 

「はーい遅くなりました。すいませーん」

 

 

「ったぐ、、。ホント最近の若けえモンは何やらしても、、」

 

 

はぁ??

何言ってんのコイツ??

絶対オレの方がションベンの勢い強いから!流石にオマエには負けないから。そこまで落ちぶれてないから。

 

 

予想通り二、三分後にジジイがトイレから出てきた。

甘デジの出玉のようなションベンだったのだろう。心が読まれたのかコイツは尚も私に絡んできた。私は既にレジの前に並んでいる。

 

 

「おい兄ちゃん!買うもんねえーならオレ通してくれや」

 

 

うっせー喋んな。

レジ前の温かいお茶買うんだボケ。つーかオマエ手洗ったか??ストレートで出てこなかったか??マジで関わりたくねーなコイツ。よし。シカトしよう。

 

 

「おい!ぎいてんのか?」

 

 

おい!

やめろ。マジで触んな。

わかった。わかった譲るから。

 

 

「はい。聞いてますよ。それじゃお先どうぞ」

 

 

「オレ急いでんだわ!邪魔だけはしねーでけろ」

 

 

よし分かった。

とりあえずオマエは死んでけろ。

何、熱燗買ってんだよ。飲酒だろ。通報してやろうか??そのまま海に落ちてけろ。お願いだからトンネルの3㎞以内にコンビニ建てないでけろ。

 

 

 

と、いうやり取りがあってので私は函館付近に良いイメージがない。歴史情緒溢れた素晴らしい街だと思うが、彼らの使う「けろ言葉」も又歴史の一部であり、大正造りの赴きのある銭湯でもケロリン桶の水浴びと共にこの言葉が飛び交っていた。一人旅でも色々な出会いがあるものだな、と思いながら車を走らせた。北海道コンビニ「セイコーマート」で爆弾おにぎりを三つ買い、線路沿いの駐車場で一泊目を終えた。雪混じりの夜行列車はとても綺麗だったが、通る度に騒音で目が覚めた。今日はあまり進めなかった。いっそ寝ないで次を目指そう。

 

 

 

二日目、南の点「えりも岬」を目指す。

日本地図を見ても、これだけ分かりやすい鋭角はないのではないか?えりも岬までの海岸線は静かだった。なるほど、これは確かに太平洋沿いの都市が栄える訳だ、という実感が持てて嬉しかった。商業港である苫小牧を過ぎると一気に人影が少なくなり人間より牛、馬の方が多かった。北海道では貴重な雪の降らない地域をなぜ住宅化しないのかずっと不思議だったが、彼らの楽しそうな姿を見てその謎が解けた気がした。和牛、競走馬として稼ぐ彼らの方が我々より何倍も優れており、この楽園は彼らのためにあるのだろう。えりも岬に着いた。風が恐ろしく強く、普通の岬の倍くらいの風力があった。私以外に物好きなカップルが一組訪れており、女性の髪は恐ろしくボサボサになっていた。それくらいの撮れ高しかないのが残念スポット「えりも岬」である。

 

そこを起点に東の地に向かうとさらに人がいなくなり、ここは大型動物の棲みかである。道路沿いにいるエゾシカと目があった。角が生えており迫力が段違いである。草食動物だと分かっていなければ警察に通報するだろう。恐怖で近場の都市部に逃げたくなったが、太平洋側では距離を稼いでおきたく、一気に車を走らせた。今日は千㎞くらい走ったんじゃないだろうか?疲労が極に来たので、峠のど真ん中の駐車場で寝ることにした。節約してエンジンを付けずに寝ようとしたが、寒さと恐怖で寝付けなかった。駐車場には私一台しかおらず、オマケに目の前には熊出没注意の看板までありやがる。ヒグマなんてものは明らかに神の配置ミスで、黙ってサバンナでライオン達と切磋琢磨していてほしい。エンジンを付けるならマフラー回りの除雪のために一旦外に出たいが、奴らの瞬発力は金棒を振り回している鬼とそう変わらん。躊躇しているうちに尿意が押し寄せ、もちろん外に出る度胸がないのでペットボトルに済ませると安心して寝てしまった。眠りは浅く、疲れは取れなかったが朝日を見るべく東の点「納沙布岬」を目指した。

 

 

 

三日目の朝、「のさっぷ岬」と呼ばれる日本最東端の場所は混んでいた。元旦ではなかったが晴れていたこともあり、今日を「初日の出」と誤魔化したい気持ちは先程まで悪夢に見舞われていた私とて同じである。朝日が出てくると人々が歓声を上げ始める。御来光などと何を大袈裟な、と毎年思っていたが、「なるほど、苦労に見舞われた人間にとってこれは後光だな」と、この目玉焼きのような球体を見てそう改めさせられた。目的を果たしたのでさっさと北へ向かう。東の大世界遺産「知床」は最初からスルーすると決めており、冬は素人が立ち寄れる所ではない。昨日の反省を生かし、今日はひと気のある所に行こうと思い、オホーツク海側の都市「北見」に寄った。ゆっくり温泉に浸かっていると、そういえば結局コンビニ弁当しか食ってないなということに気付き、駅前で探すことにした。旅人らしく「今旅してるんですけどオススメの食事ありますか?」と優しそうな中年男性に聞くと「50㎞先くらいにある○○町の喫茶店のシーフードカレーがなまら旨いよ!」と教えてくれた。50㎞、、。さすが試される大地、、。迷わず向かった。もちろん、なまら旨かった。冷めたことを言わせてもらうとグルメ大国である北海道沿岸で不味い料理に当たる方が難しく、私的には初めての一人旅で声をかけた人が予想通りの優しい人であったことが嬉しかった。最初にハズレを引いてしまうと、それ以降の旅が億劫になってしまう可能性があり、今思うとこれは一つの分岐点だったのかもしれない。もうこの旅の撮れ高は十分である。流氷が訪れる前のオホーツク海は正直見所がなく、北の点「稚内」の近くまで走り、道の駅でぐっすり眠った。

 

 

 

見所がないと言えば、日本最北の地「宗谷岬」はもっとない。悪いが写真だけ撮ってさっさと札幌に帰ろう。三泊四日で冬の北海道を一周なんて中々すごい事なんじゃないか??この体験を面白く伝えるトーク力はないが、結果は得られただろう。後は事故らないよう、風力発電でも見ながらドライブを楽しもう。だか、そこは私の苦手とする日本海。ゴール手前で「留萌」という名の可愛らしい街が私に牙を剥いた。

 

 

 

 

ガラガラガラ。

 

 

「ああー!ほんっっと、出ねぇなぁー」

 

 

場は温泉。

明らかに不機嫌な筋モンが現れた。その他にも筋モンと思われる強面の男たちが湯に浸かっており、完全に温泉のチョイスを間違ったと私は後悔していた。しかもこの男が現れた瞬間、緊張度が跳ね上がった。この街のボスと見ていいだろう。

 

 

「○○さん。いくら負けたんすか?」

 

 

「十万だよ!何だあの台?頭きて殴ってやったぞ」

 

 

「あー、あの台クソですわ。オレも全然っすわ」

 

 

 

嘘つけ。

お前らさっき勝った言ってたやんけ。

ヤクザ??漁師か??その世界にも社交辞令はあるんだな。筋モンにはなりたくないが十万突っ込めるパワーには魅力を感じるな。もう少し耳を傾けよう。

 

 

 

「それはそうと、あの若造どうにかしてくれよ!」

 

 

!?

オレか!?

 

 

「あー、あの組合の○○にムカついてんのはオレらも同じっすわ」

 

 

良かった。

オレじゃなかった。

 

 

話を聞いていると若造というのは漁協の人間らしい。その時は、協会に不満があるのはどの世界でも同じか、、。程度にしか思っていなかったが、「海」つまり「領海」という不変の場で戦う彼らは、他の業界より抜け道が少なく、お上の力が強いのだという。ではそのストレスはどこへ行くのだろうか?

 

 

まずい。

最近シケで漁に出れないらしい、、。その上パチンコでも勝てないらしい、、。まずい。子分たちも抑えきれなくなってきてる。ここらが潮だ。引き上げよう。

 

 

「おい、兄ちゃん!オマエ○○の息子け??」

 

 

知らん。誰だソイツ。

もう少しヒントをくれよ。そしたら成りきるからよ。

 

 

「いえ。違います。オレ旅行者っす」

 

 

「おっ!どっから?」

 

 

「札幌っす」

 

 

「ああっ??」

 

 

キレる所じゃねーだろ。

札幌に何人住んでると思ってんだよ。

 

 

「だったらおめぇ、さっきからオレらが話してる○○ってガキ知ってっか??」

 

 

知るわけねーだろ。

札幌に何人住んでると思ってんだよ。

 

 

「すいません。知らないっすね」

 

 

「何だぁ?横の繋がりねーやっちゃだなぁ」

 

 

そうゆう次元の話じゃねーんだよ。

もう少し若者を労りやがれ。

 

 

「ははっすいません。それじゃお先に上がります」

 

 

「おう。あんちゃん。もう一回言うけど横のつながりだぞ」

 

 

「はーい。ありがとうございまーす」

 

 

と、生意気な態度で去ったが、彼らはあながち芯を外したわけでもなかった。

 

 

その当時気になっていた女性は地元の仲間と結ばれた。仲間たちは結婚、離婚を繰り返し、細い糸を紡ぎながら物語を生きている。対して私は、未だに透明な小便を流し続ける小僧に見えて仕方がない。まぁ、その居心地が良いのだが、、、。

一人称でキャラクターを作り上げよ

男に生まれて良かったと思うことの一つに一人称の多さがある。キャラの使い分けが苦手な男子にとって、この日本語の特性を生かさない手はなく、逆にこれを使いこなせなければ一生「俺」一辺倒の人生を送ることになる。私はそんな人生は嫌だ、、、。

 

 

 

 

接客業を生業にしている人達にとってこの問題は無用であろう。逆に仕事時のキャラクターが定着し過ぎて、我々「俺一族」に羨ましさを感じているのかもしれない、、。

 

 

それはさておき、私が「僕」を取り入れようと思ったキッカケは先輩がお客さんと話している時である。年上の現場監督にもタメ口で話すこの人も、ぶっ飛び切っている訳ではなく一応社会人の自覚はあるようである。

 

 

「ここの袖壁はですね、、左に50フカした方がキレイだと思いますよ」

 

 

そんな職人用語ばかりじゃ分からんだろ。

確かにアンタの言う通り、そっちの方が見た目がキレイだし間違いないが、お客さんに伝わらなきゃ意味ないだろ。ほらみろ。オレらが言いたい「左に50㎜のカベをくっ付ける」が完全に「左の袖を50㎝を伸ばす??ゴムゴムの話ですか??」に?化してやがる。どうすんのこれ?

 

 

「とにかく!僕がおかしくないようにバッチリ納めとくので安心してください!」

 

 

ゴリ押ししやがった、、。

まあ、これが正解かもな、、。

お客さんも安心して帰って行ったし、わざわざ設計し直す問題でもないだろう。こういう細かい事で工事が滞るのが職人にとって一番のダメージになる。オレ達はただドンッと構えていればいいだけだ。だが一つツッコミ所があるとすれば今「僕」の発音がおかしくなかったか??

 

 

年齢と発音が合っていない、、。

「僕」を使い慣れてない俺たちにとって、使用時は小学生にタイムスリップすることになる。すなわち「ぼくドラえもんです」と同じく「ぼ」の発音が異常に高くなり、それを髭面で言われた日には説明を聞くどころではなく笑いを堪えるのに必死である。おそらくさっきの客もそうだったのだろう。それなのに勘違いしたこの男は

 

 

「ZEN吉よー。やっぱ職人ってはよ、自分に自信持たなきゃよ。お客さんに不安が伝わるなんて一番あっちゃならねーことだぞ」

 

 

と、誇らしげに語っていた。

裏話として若くしてデキ婚したこの先輩は、両親に挨拶する際「ぼく」を噛みまくってテンパりまくった挙げ句「とにかく!俺が娘さんを必ず幸せにします!」で乗り切った背景がある。

 

 

今はそれでいいだろう。

自分の主戦上でプライド高く「俺」を通せるうちはそれが正義だろう。だが、オレは違う。そもそもそんなプライドなんて持ち合わせちゃいない。この戦い方をしてると必ず後悔する時が来る。よし。現場以外では全て「僕」を使おう。こういうのは回数を重ねるのが大事だ。

 

 

私の人生を振り返ってみると、口に出して「僕」と言ったのは300回程しかない気がした。野球部出身ということで、引きこもりの割には敬語が使えたが、これが良くなかった。中学生のある時期辺りから「すいません!オレのミスっす!」が私の中では最も汎用性の高い敬語であって、しかも部活動の延長のような建設現場では、これさえ使いこなせば用が足りるのである。足りるというか迂闊に僕と言おうものなら「僕ぅ~?お前チンコ付いてんのか?」とバカにされる始末である。そういう経緯もあり、職場とプライベートで一人称を使い分けていたのだがプライベートが寂しい奴にとって、それだと時間がかかりすぎるのである。

 

 

 

ダメだ、、、。

素人感が全然抜けない、、。もっと五条悟のようにナチュラルな僕を使いたい。どうする??こんな所で、まごついてちゃ歳ばかり食うだけだ。急げ、もう三十代なんだ。本当は「私」を使い初めてもいい年齢なんだ。

 

よし。仕事を変えよう。

やっぱ「チンコ付いてんのか」が常用語になっている奴らと一緒じゃムリがあったんだ。とりあえず環境を変えて、二級術師になってからまた戻って来ればいい。三千だ。三千回連続で「僕」を使えば花開くだろう。それまで「オレ」は封印しよう。主語なんてなくたって日本語は成立する。仕事はそうだな、、、何でもいいか。いきなり接客業だと無理があるから、簡単な季節アルバイトにしよう。一年くらい転々として「チンコ族」しかいない職場だったらさっさと辞めてしまえばいいさ。

 

 

こうして、恐ろしくレベルの低い旅が始まったのであーる。

 

 

 

 

 

居酒屋で働くことにした。

昔ながらの観光地にあるこの店では過度な接客は必要なく、初心者には丁度良いと思ったからである。大将の言葉遣いが荒く、バイトが直ぐ辞めてしまうのが難点だが、現場育ちの私にとって辞めるほどの暴言ではなく、三ヶ月間この町で過ごすことになった。

 

 

飲食初心者にとって居酒屋の仕事は相当難しく、毎日「そりゃ辞めるわ、、」と思いながら仕事していたが、衝突が起きなかったのは私が気弱な上に「僕」を取り入れていたからである。気性の荒い亭主がいるのに潰れない店には必ず優しいママか女性スタッフがいる。女神のような彼女達でさえ混雑時には自分のことで精一杯になり、嵐が過ぎ去った後にはヘトヘトになる。その時近くにいて欲しい存在とは「下僕」である。それもそうだろう。山賊客の残飯を片付けている時くらいキレイな言葉を聞きたいのだろう。料理を作り終えた大将をお疲れ様でしたと労うのは早く同族に帰ってもらいたいと、彼女達のため息がそう答えていた。つまり「僕」の方が女受けがいいのである。

 

 

 

たかだが呼び方なんて。

と俺一族は思うかもしれないが、女受けうんぬんじゃなく男受けもいい。事実、幾度も「兄ちゃん地元の人??いい笑顔すんねぇ~」と誉められた。

 

 

それは表情だろ。

と思われるかもしれないが、これも違う。私も表情至上主義の一人であるが会話に置いては「僕」という食前酒を差し上げることで誉め言葉を頂くことができ、それを繰り返すことで良い関係を築くことができる。逆説を唱えると、表情豊かなフルコースを楽しんでいるところに「オレ」なんて言おうものなら、ハチミツをぶちまけるがごとき思想、である。マッチングアプリで散々紳士ぶったくせに、いきなり「オレさぁ、、」とかますのが良い例である。

 

 

でもさ、「僕」って他人行儀に聞こえない??

 

それは使用回数が圧倒的に足りていないだけである。千回を越えた辺りから術式が芽生え始め、様々な発音を使いこなせるようになる。その頃には恥ずかしさなんてゼロである。依然ぼくドラえもんですを使い続けても構わないし、相手が嫌がるなら「オレ」を使用すればいいだろう。

 

 

 

居酒屋の仕事はキツく、昼は仕事を入れなかった。日常を忙しくしてしまうと職人時代と同じ空気が纏わりつきそうで嫌だったからである。金は少しずつ減っていったがこれも一つの投資だろうとのんびりとした日々を過ごしていると女性スタッフが気を使ってくれた。12時間くらい平気で働ける二十代前半の女性である。

 

 

「ZEN吉さん、全然シフト入ってないけど大丈夫ですか?アタシお昼の仕事紹介しましょうか?」

 

 

一回り以上下の女性にこれを言われるのだから「下僕」は完成したのかもしれない、、。居酒屋の仕事に慣れた頃を見計らって、私の金銭面の心配をしてくれているらしい。有り難いのか情けないのか分からない。金がないと言った覚えはないが、あるとも言ってない。下僕はそんなことは口にはしない。

 

 

「うん。ありがとう、でも大丈夫。僕夜遅いと朝起きれないんだよね」

 

 

「そっかぁ、、。ZEN吉さん力あるから向いてると思ったんだけどなぁ、、。言葉にも耐性あるし優しいし、、」

 

 

コレもう勝ちじゃない??

逆ナンされてる?アピールされてる?オレはあなたのストライクゾーンなの?ヤバい、、。今までこうゆう事ないから分かんない、、。助けて、ドラえもーん。

 

 

「ありがと。ちなみにどうゆうお仕事??」

 

 

「ふふっ現場です」

 

 

現場かよ!!

さすがに行かんわ。だって行ったら「オレ」に逆戻りじゃん。つーか今の笑いオレが元現場系だって知ってたな。本当に可愛い子だな、、。ヤバい、、。好きになりそう、、。

 

 

いや、ちょっと待てよ、、。

下僕に仕事を斡旋するのは分かるがその繋がりはどこにある??二十歳そこらでその広さはあるか?まさか、、

 

 

「僕、現場系だって知ってたでしょ?誰か現場に知り合いでもいるの?」

 

 

「はい。大将に聞きました。ふふっ。彼氏が職人なんです。今、人手足りないって言ってて」

 

 

やっぱりな、、。

まあ、しゃーない。へこむことじゃあない。誉めて会話を終わらせよう。

 

 

「そうなんだ!○○さん絶対モテるから男ほっとくわけないもんね。彼氏どうゆう人なの?」

 

 

「ガッツガツのオラオラ系!でもすごい優しいの!」

 

 

「へぇ、、。そうなんだ、、」

 

 

「そのギャップがいいんです!アタシの回りもみーっんなそうゆう男がいいって言ってます!」

 

 

「へぇ、、。そうなんだ、、」

 

 

、、、、、、。

、、、、、、。

助けて。ドラえもーん。

 

 

こうして終わらぬ一人称の旅は今も続くのであーる。

猫好きの女

猫というより人間以外が好きな女であった。あまり明るい話でもないし笑いになる話でもないのだが、彼女との出会いが確実に私の価値観を広げてくれたので、それを忘れないよう、ここに書き留めておきたい。

 

 

 

 

私も、良くいるタイプの猫好きである。

基本、生き物は苦手なのだが、気まぐれに近寄ってくる猫にだけは「こいつ、、かわいい奴め、、」と生まれ変わるなら猫になりたいと憧れの存在なのである。私たちのような猫好きの性格は、割りと八方美人が多く、それを愉悦に感じている反面、それと同じくらいの「ちっ。めんどくせーな」を抱えている気分屋たちである。それをおもむろに出して許されるのだから「ああ、わたしは猫になりたい」。正確には猫好きの主人の元で暮らしたい。というのが私たちの切な願いである。

 

 

 

対して彼女。

彼女は猫たちに心底感謝を抱いていた。その証拠に猫たちを呼ぶときは「○○さん、○○くん」。彼らがいるから私は生きていける。私が世話をしているんじゃなくて彼らに助けられてる。というのが彼女の主張であった。なるほど、言ってることは分かるが彼女にここまで思わせる理由は人間関係が上手く行ってないのだろうと思った私は「素晴らしい考え方ですね。でも、猫好き過ぎて人間愛が減ってしまいそうで少し心配です笑」というメッセージを送った。彼女との出会いは出会い系アプリである。四十代、年相応の写真だったが猫と同化した笑顔に私は惹かれた。

 

 

「そこなんです、、。私もそこは気を付けているつもりなんですが、どうしても人間の汚い部分に目がいってしまって、、。今、お仕事も辞めてしまって、、」

 

 

やっぱりか、、。

まあ、人間関係なんて運みたいなもんだ、、。前向きに捉えよう。

 

 

「お仕事なんて全然休んじゃいましょう!僕も長い夏休み中ですし笑。お陰で今こうして楽しいメッセージ出来てるわけですし」

 

 

「ありがとう。コッチにはいつまでいるの?」

 

 

北海道の東。

「道東」は避暑地として人気がある。だが、そこで暮らしている人々の実態はどうなのだろう?そういう空気を肌で感じる旅が私は好きだった。

 

 

「二週間ほど」

 

 

これだけ居座れば得られるものはあるだろう。

 

 

「結構いるのね!」

 

 

「はい。絶対ゴハン行きましょうね!」

 

 

「うん。行こう」

 

 

こうして猫好き同士の邂逅が決定した。

お互いアプリでの出会いに抵抗はなく、次の日喫茶店で会うことになった。古い喫茶店でプカプカ煙草を吸う彼女が妙に魅力的に見えたのは、彼女の雰囲気がどこか現実的ではなかったからである。

 

 

小さく痩せ細っている。化粧はしていなく美容は諦めていると言うが、諦めてこの器量なのだから他の四十路の前でこの発言は控えた方がいいだろう。猫のエサ程の食の少なさが余計な老廃物を生まず、コーヒーと煙草が彼女の栄養源であった。彼女は拒食症を患っていた。

 

 

が、明るい。拒食症=根暗というのはただの偏見だが、何せ今まで出会ったことがないのだからこの勘違いも許されよう。彼女が拒食症になったのは思春期に体重が増えたのがキッカケで、そこからの付き合いらしい。自分で公言する人が少ないだけで拒食症というは案外身近な病だと彼女は言う。私もそう思う。目の前でケタケタ笑う女性が病気だとは思わない。実写の猫が大々とプリントされたパーカーを羽織る彼女に向けた「どんだけ猫好きやねん!」の挨拶ツッコミにも優しく応えてくれた。初デートにその服をチョイスする度胸は私にはない。まるで場末のスナックのママのような安心感である。

 

 

茶店での話は大いに盛り上がり、あっという間に三時間が経っていた。後ろ向きな会話内容ではなく、お互いの趣味、猫好き愛などを語った。喫茶店を出て、散歩に付き合ってくれた彼女がトコトコ後から着いてくる。視線を落とすと靴にはまたしても実写の猫のプリント。

 

 

「どこで売ってるのそんな靴!?」

 

 

「ネット。男ものはないかもねー。一応見といてあげる」

 

 

「いや、いらんわ」

 

 

等身大を魅せる彼女のせいで素の私が釣られて行く。楽しい。こんなに楽しい夏休みがあっただろうか?次の日も、また次の日も会うことにした。

 

 

 

 

道東に来た理由の一つとして職人仲間に会いたかった。

建設業は人手不足が追い風になり賃金が軒並み上がっており、高止まりが近づいていた。それは東京の職人から聞いたもので直接体感したものではなかったが、東京を中心に賃上げの余波は広がっており、地方都市の職人たちの財布も肥えていっていることは事実であった。プレカット化が進むほど現場作業員にとって喜ばしいことはなく、クソ重い資材を現場加工することなく組立に直行できるのである。「加工」を省くことで現代の職人たちの体力は余っており、プレカット料として賃金を大きく差し引くことも前時代的で好ましくない。結果、私を含め現在職人は「肥える」時代と言っていいだろう。では日本の端、北海道。そのさらに端の道東ではこの恩恵は受けられているのだろうか?それが夏休みの自由研究であった。

 

 

 

結果――受けられてない。

職人が足りているのである。仲間が言うには現金で貰うモグリの職人がこの土地にはまだまだいるらしい。表向きは無職として税金を払うことを毛嫌いしている五、六十代のここの人たちは「節税」とは無縁であり、情報収集を諦めている節がある。目の前の仕事を黙々とこなすだけでは機械化は進まない。建設業に限った話ではなく、この地のレストランや銀行でも似たような雰囲気が感じられた。地理的に企業誘致も難しく、霧深いこの街では先行きの不透明さだけが人々に蔓延しているようであった。旅行者たちは「わぁ、涼しい!良いところ」などと喜んでいるが地元民が「錆びれたところだよ」と邪推すると、これまた「じゃあ出ればいいじゃん」の邪推が返ってくる。大切なものがあると人は動けない。そう、彼女には猫たちがいた。

 

 

 

 

 

今、私たちは車の中で休んでいる。

彼女の車でドライブを楽しんでいる途中、雨が降ってきたので少し休むことにした。こういう時は真面目な話になることが多く、会話の主導権は車の所有者が握ることになる。

 

 

「本当、ありがとう。貴重な休みアタシなんかに使ってくれて」

 

 

彼女は自己肯定感が根っから低い。

暴言を吐く親の元で育ったらしく、それにこの街の雰囲気が拍車をかけていた。裏切りに会う確率も他所より高くなる。運が悪かった人間に自信を持て、と言っても無意味だろう。

 

 

「アタシなんかって言わないで。今、僕はアタシなんかと一緒にいるの?僕も僕なんかって一万回以上思ったことあるけど口に出さないようにしてるよ」

 

 

「そうだね、、、。ごめん。自信がもてなくてさ、、」

 

 

「○○さんはただ運が悪かっただけなんだよ。この街の地理的な環境がそうさせてるだけなんだよ。でも良いことも沢山あるよね。野良猫が多いよね。○○さんに拾ってもらって幸せだと思うよ」

 

 

「違うの逆なの。私が命を救ってもらってるの。せめてもの恩返しなの」

 

 

何故だ?

流石に誇張表現じゃないか?猫を見て癒されることはあっても命を救われたなんて普通思うか?過去に自殺未遂があったのか?踏み込んでいい所なのか?

 

 

少し困惑している私に「前に保険の営業やってたって言ったでしょ?」と彼女から踏み込んで来てくれた。そこまでは知っている。独特な雰囲気を放ちながらも、綺麗な言葉と文章を使える彼女はつまはじき者ではなく大人の女性である。

 

 

「別に売りたくなかったの。最低限お金が貰えればそれで良かったの。女同士の陰口もめんどくさかったし早く猫さんたちの家に帰りたかったの」

 

 

それも知っている。

オレが彼女でもそうするだろう。だからウマが合っている。

 

 

「もう毎日色々疲れちゃった所にさぁ、、」

 

 

不幸が舞い降りたのだろう、、。

オレも疲れてる時に限っておつりを間違えられる。

 

 

「所にさあ、、」

 

 

言いづらそうである。

 

 

「大丈夫だよ。止めても」

 

 

「襲われたの」

 

 

ーーーーー。

 

 

 

 

こういう話を聞くのは流石に初めてである。

未遂で済んだらしいが、本当か嘘かはわからない。犯人は単独なのか誰かの差し金なのか、それもわからない。分かるのは今に至るまで彼女の社会人生活は終わってしまったことで、その心の傷の大きさから障害者認定を受けていた。事件後、女性的な身体から決別するために過食嘔吐を繰り返したという。死のうと考え、うろうろしたが度胸が湧かず、再びうろうろしている所に近寄ってくれた猫たちや懸命に生きる虫たちの姿を見て思い止まったという。これ程の事件に遭遇した人に対し「運が悪かった」で済ませる訳には行かず、私は考え混んでいる。雨は降り続けているが彼女は車を走り出した。

 

 

 

「引いた?」

 

 

「うんん。引いてないよ。ただゴメン。運が悪かったで済ませて」

 

 

「うんん。仕方ないよ知らなかったんだから」

 

 

「ありがとう。すごい、、」

 

 

「ん?」

 

 

勉強になった。

と思ったが失礼だろう。かといって思ってもいないことを言うのもどうなのだろう。

 

 

「いや、、。明日も会おうね」

 

 

「うん。もう帰っちゃうしね」。

 

 

 

 

 

最終日は彼女の家で過ごすことにした。

文字通り一軒家の「家」。

両親から離れるため彼女は祖父母の家で暮らすことが多く、祖父母が亡くなった時、引き継いだという。築五十年にもなる家屋の造りは私の実家とそっくりで、そこでのびのびと暮らす猫たちを見ていると安心感が湧いてくる。

 

 

「ああ、わたしも猫になりたい」

 

 

と同時に人間の視点からの危機感も抱く。

雨漏りは大丈夫か?維持費は?障害者年金だけで暮らしていけるのか?

 

 

そんな心配をよそに彼女はお気に入りの動画を見てケタケタ笑っていた。綺麗な別れにしたいのだろう。笑って暑くなったのか部屋着姿になり、彼女の痩せ細った腕が見えた。自傷行為の痕が見える。これも知っていた。生きている実感が欲しい時、そういう気持ちになるらしい。知らないのはこれを見た私がどういう気持ちになるかである。

 

 

彼女の手を取り、抱きしめた。

「そういう気持ち」ではなく愛おしいのである。自分に酔っているだけかも知れないが、ただただ愛おしい。彼女の歴史を知らなければ引いていたかもしれない。これで即引くバカから成長できた。酔ったバカが野暮な質問を投げ掛けた。

 

 

「○○さんは誰かに守ってもらいたいとかはあるの?」

 

 

あるに決まっている。

じゃなきゃ出会い系などやるかバカ。

 

 

「めっちゃあるよ」

 

 

抱きしめた背中から寂しさが伝わってくる。

「俺が守るよ」が言えないならこんな質問するなバカ。

 

 

「でもさ、、アタシなんがさ、、」

 

 

何も言えない。生きろとも、傷つけるなとも。全面的に私が悪い。

 

 

「ごめん。変なこと聞いて。ごめん」

 

 

「うんん。ありがとう」

 

 

反省と共に考えこんでいる。

これから言い訳のオンパレードをする。

酔った勢いで結ばれて幸せになれるのか?距離を置いてみて思ったことが真実なのではないか?この街に賃上げ余波が到達するまでは共倒れじゃないか?そもそもオレ以外に相応しい男がいるんじゃないのか?

いや。今思っている真実だけを伝えよう。それが真実だ。

 

 

「○○さんに会えて良かった。○○さんがいなくなったら寂しいよ」

 

 

「アタシも。またね」

 

 

「うん。また」

 

 

と言って別れを告げた。

私たちは未だに真実をさ迷っている、、、。