無自覚系自称一人好き野郎

「オレって一人が好きなんですよね」「へぇー、たくましいですね」。まあ、嘘はついていないだろうし、事実、一人耐性も強いのだろう。コイツらの厄介な所は自分が寂しがり屋であることに気付いていない事である。えー、何そいつ?超めんどくさいじゃん。そうそう。いるよねそうゆう奴。‥‥‥。ってオレじゃん!!




負け惜しみで言うわけじゃないが、私は「照れ隠し系」ではなく「無自覚系」なのである。その証拠に人と会った時にはオートで笑顔になるし、その嬉しいという、時には不作な原料も第二倉庫から出荷できるよう、常に心のスペースを確保しているつもりである。そこまでしていて「一人が好き」というのだから真実なのだろう。
だが、「寂しくないの?」と問われ「寂しくない」と答えるのは流石に負け惜しみ成分が強くなってきており、とりあえず負け惜しみを聞いていただきたい。



寂しがり屋の定義は何だろうか?
それは日数である。人と接する日数が毎日が「超」寂しがり屋。3日あくと寂しがり屋。30日を超えると寂しがり屋じゃない。4~29日の人間は「普通」。と、こういうふうに数字を出してやれば曖昧なオマエ寂しがり屋??という質問に答えることができ、私は「じゃない方」になる自信も誇りも持っていた。私は大勢でキャッキャするのが得意ではなく又それが良いと思っていて、人間誰もが乳幼児の時はキャッキャしているのだから、これ以上のキャラの上積みは不要であり、現にいつでも引き出せる自信を持っていた。一見堅物と思われるこの考え方こそが柔和であり、その柔らかな世界では多少の孤独など感じる暇もなく時は過ぎ、30、いや300日だって平気だろうと思わせてくれるのが私の誇りでもあった。

ここで「何を持って人と接するって言ってるの??」と当たり前の質問には、ものすごく無責任に「そんなの本人がそう思ったらだよ」と返させてもらおう。人と接するなんてテーマは宇宙的すぎて、行き着く先など全てブラックホールのような返答にしかならないのだろう。

と、ここまでが私の意識しているモテる理想の男子像。これから紹介するのが、無意識の私のリアルな姿である。




ピコーン。


「今20連チャン中。見てこのプレミア演出!激熱カットインからの絶叫からのエアバイブからの、、、」


うっせーな。マジどうでもいい。
いいか?俺パチンコは好きだけど勝った話聞くのは死ぬほど嫌いなんだよ。マジで画像送って来んな。何で会うまで待てねーんだよ汁男優。絶叫からのバイブって完全にAVの演出だろ。んな下らねー画像送って来るくらいなら、オレ好みの女優の画像送って来いよ。


こういうのは人と接しているにカウントしない。
私たち現場作業員の間でギャンブルは、コミュニケーションの大半を占めており、「お疲れ様です」より「勝った?」の方が使われる回数が多い。それそれはそれで面白いのだが野郎共のするタンパク質な会話など咀嚼していくうちに無機質なものに変わっていき、必然的に堅物が出来上がる仕組みになっている。


コレじゃないんだよ。いや、オレもたまに送るよ。でも送られた方はムカつくってゆうか寂しくなるんだよ。パチンコの連チャン画像って「寂しさ加速装置」だからな?009もびっくりだよ。


ピコーン。


あ?しつけーな。
流石に連続自慢はパチンコカスにも嫌われるぞ。カスofカスのブロック案件だぞ。どれどれ、、、


「久しぶり!!何してた?コッチはやっとシーズン終わったよ!」


コレだよコレ。


彼女は私と周波数が近く、単に同調してくれているだけなのかもしれないが、何せ私は「無自覚」なのだからその思い込みも許される。「彼女」と書いているが彼女ではなく、仲間というより尊敬を込めて「彼女」と言っており、そこに恋があるのかは無自覚な者にはわからない。


彼女は現役のアスリートである。
出会った時間は短く、彼女は私に何を求めているかよく分からないが、たまに連絡を取る仲である。私も彼女に何を求めているかをよく分かっていなく、その曖昧さが心地良いのかもしれないが、その心地良さには尊敬と微量の共感が不可欠である。はぁ?アスリートと共感?と甚だおこがましいのだが、変に彼らを神格化するのは失礼な事であり、一般人とはただ表現方法が違うだけで、しかし彼の地に居続ける彼女を私は「尊敬」する。


何してたか、、。
ナニしようとしてたんだけどな、、。彼女にはコレを言ってもたぶん大丈夫だけど言いません。だって恥ずかしいじゃん。


「シーズンお疲れ様。コッチはいつも通りぐうたらしてるよ。ニートのぐうちゃん(笑)」


「やっぱり!!ニート認めんな!!」


「笑」


尊敬できるところは彼女が社会人アスリートであるところである。しかも個人競技。お金をもらっているプロでない彼女はスケジュール管理も自分でするのが常で、それが個人競技にもなると誰に頼るわけでもない、より一層のマネジメント力が必要であろう。つまりアスリートとは「プレーヤー」ではなく「マネージャー」が本当の姿であり、彼女はその肉体もさることながら、恐ろしく切れる頭脳を持っているのだろう。

対してこの私。肉体労働の職を都合よく捉えるならば、一応私もプレーニングマネージャーということになる。しかもニート気質な人間とは自分の時間を作ることに全てを捧げており、恐ろしくキレは悪いもののマネージャーと名乗っても支障は無いだろう。そしてマネージャー同士の会話とは、頭を使わない無機質なものになるのだが、そこには味はある。フーセンガムのような柔らかな味だ。


「つーか彼女できた??」


「まだ」


「出た!!101回目のプロポーズ」


「今102回目目指してる」


「笑」


こういうのを仲間というのだろう。仲間と知り合いとの線引きとは無意識でのキャッチボールであって、そこにはストレスはなく、もちろん寂しさもない。はずである。


「マジでそろそろ作りなよ。寂しくないの?」


「寂しくないよ。一人好きだし」


「出た!!変人の強がり!」


「強がらない変人いないでしょ」


「そりゃそうだ(笑)」


私たちのやり取りは、ツッコミを入れつつも最後は肯定的な終わり方をすることが多く、お互い認め合っているという解釈でいいだろう。その証拠に私たちの会話に「頑張れ」の文字はない。だが、報告はある。それも急に。


「あ、そうそう。アタシ結婚するから。現役は続けるけどね」


えっ!?急!!
、、、、。結婚式するのかな?気まずいな、、、。


「急!!式はするの?」


「するよ。めんどくさいけど。でもニート立ち入り禁止だから呼ばないよ(笑)。そのための報告だから」


ニート言うな!!でもありがと。それとおめでとう」


「ありがと。それじゃ201回目のプロポーズ期待してるよ。またね!」





その後、彼女から連絡はない。
「じゃない方」である私は窓を見ながら心と向き合っている。


彼女からのメッセージ音は心地が良かった。アレはたまにだったから良かったのか?野郎からの着信でああなるか?つまりそれはどうゆうことだ?このままずっと受け身の人生で行くのか?
わからない。わからないけどコレはわかる。



「寂しい、、。」



見つめる山は雪融けが進み、シーズンの終わりを告げていた。