つみたてニートになろう

私は定期的にニートになることを心掛けている人間であり、ニートに憧れを抱いており、しかし成りきる度胸はない。彼らが言う「働いたら負けだと思っている」という格言に心を掴まれながらも一線を越えられない私のような人間は数多くいるのではないだろうか。そんな振り切ったデイトレーダーになれない皆様、まずは積立てニートから始めよう。



まずは語感がカッコいい。カタカナ表記では平凡なものもローマ字で書くと強さが倍増する言葉というのは幾つか存在しており、「NEET」も間違いなくそのうちの一つだろう。私は語感というのをけっこう神秘的なものと捉えていて、実は一番はじめの動力になっているのでは?とさえ思っている。例えば「神」。これを目指す或いは憧れている者は、この人物像に惚れているというよりは美しい漢字一文字の「神」に惚れているのであって全ての始まりはここにある。我々日本人が扱う平仮名・カタカナ・漢字・ローマ字の中から無意識的に美しいと感じた言葉が思考の道標となっており、この感覚は最も大切にするべきものである。他に例をあげると「きれい」や「ライオン」、「花」などがあるのだが、もちろんこれらは私個人の好みであって各々のストライクゾーンを信じるのが正解だろう。社会人になる前の私はニートというものには可も不可もないといった感じであったが本格的に好意を寄せるようになったのは「NEET」と頭で思い浮かべるようになってからであり、用は人ではなく言葉に惚れたのであって、この思考法はニート嫌いの人たちにこそ役立つものだと思われる。

「オマエ一生結婚できない」「この税金泥棒!」「あの親戚の無職のおじさんww」などの辛辣なセリフは対象が人間だから起こるのであって、ニート嫌いの人たちは必ず身近な人間を思い浮かべながら嫌悪を抱いている。堕落者や落ちこぼれとった人物で表しているうちはこの嫌悪感は決して取ることは出来ず、「観葉植物」「博愛主義」「ヒエラルキー」など何か良さげな言葉に言い換えることで彼らに対する怒りや不安を和らげることができるだろう。


ここで身も蓋もないことを言うと私はニートの知り合いがいるわけではなく、完全無給な生活を送ったこともなくニートというものをよく解かっていないのだが、外からしか見えない景色というものもあるだろう。そもそもこれはタイトルにもあるように、まず上の思考法でニートへの拒絶反応がなくなった人向けの少額投資のやり方であっていきなり本物になる話ではない。初心者は分散投資がいいだろうという事と飽き性の性格も相まって私は「読書NEET」「植物NEET」「ゲームNEET」と幅広い投資を心がけている。


「読書NEET」と「植物NEET」とは図書館で本読むことや景色を眺めるのが好きな大人しそうな人物を指し、一般的にいいニートと呼ばれる人たちであろう。これを体験して思ったことは、彼らはお金をかけない楽しみ方が上手なだけであってお金は大好きであるということで大好きというよりは大事にしている。それじゃ血走ってるホームレスと同じじゃん、と思われるかもしれないが彼らは被害妄想や縄張り意識といった争いの外で生きており、資本主義の敗北者のような劣等感はまるでなく、自分主義から産まれた子供がお金であるのだから大事にしようといった思想である。時間に対する価値観も少し違う。時間は有限ではなく無限にあると思っている。その証拠に図書館で目当ての本が借りられていても「チッ」とはならないし、旅先で悪天候に見舞われても「えー!今日だけだったのに、、」ともならない。流れる小川の水面にプカプカ浮いているような人生観を送っている人たち以上に、彼らの水面は波一つなく時間が止まっているようである。つまりこの時間が止まった体験をすることがニートへの第一歩であり、その手段として読書や眺望といった静の環境が適しているのであって、ずっとベッドで寝ていられる人は天性のニートの才能があるであろう。


さて、ニートの真価が問われるのは「動」の環境であって、動とは競い合いであり「ゲームNEET」とでも名付けよう。私はゲームをほぼしないのだが代わりに低レートのパチンコをすることがある。勝ち負けがあるものは全てゲームということでいいだろう。


「お~い!金かけねーパチンコして何が楽しいんだ?そんなもんギャンブルじゃねーだろ」

パチンカスあるあるで弱い奴に限って低レートパチンコに否定的である。一部のプロがこれを言うのなら分かるが趣味打ちしている奴などただエロい演出が見たいだけであって、それ以外のセリフは全て妄言である。

「しかもオマエ0.5円って、、。せめて1円だろ。銭だぞ銭。江戸時代かよ、、」

「いやぁ、今日はワンパチって気分じゃないんでLEGOパチにしときますわ」

「ホントお前度胸ねーな。モテねーわけだわ。つーかその言い方キモいからやめろ」

はぁ??

これには私も腹が立った。

4円なんて人間の打つパチンコじゃねーんだよ。沼だよ沼。まず4って数字が好きじゃねーんだよ。絶対リーチかかってほしくない数字だろ。何回地獄に連れて行かれたことか、、。しかも「ワンパチ」「LEGOパチ」がダセーだと?これ以上カッコいい語感ねーだろ。マジ殺すぞ。

「んじゃ、オレは0.5円でまったりと楽しむんで頑張って下さいね。それじゃお疲れ様っした」

「オイオイ。怒んなって~!どうせなら同じパチンコ屋で打とうぜ。仲間だろ」

コイツの魂胆はわかっている。
近くに金を貸してくれる人間が欲しいだけだ。そのことを見越して私の財布には二千円しか入っておらず、そんな作戦を後輩に立てさせる時点でコイツは先輩失格なのだが、「仲間」という言葉はジャンプ歴30年の私にとって脳髄に響く言葉であって、しょうがなく行動を共にすることにした。

ここで豆知識を言うと、パチンコ屋内では高レートと低レートのエリアで別けられており、行き来はもちろん自由であって、昨今は低レートの島に入国してくる人が後を立たないらしい、、。



私の結果に激しい上下はない。今日もそうだ。
800円を使って純愛パチンコ「めぞん一刻」という最高のラブストーリーを味わった後に、休憩ブースで「銀魂」をニヤニヤと読む。残りの200円を使って美人のコーヒーレディから飲み物を買ってもいいだろう。後の千円で今日は何を食べよう?久しぶりに牛丼のメガ盛りもいいかもしれない。
入店から四、五時間は経っていたと思うが私の時間はすでに止まっていて、この時間に微塵の後悔もなく牛丼を食べ終わって一人ベッドで眠る時には、おそらく「このまま死ぬのも悪くないな」と思っているだろう。ニートの定義は満たしているといっていい。

一方、先輩はパチンコ屋という資本主義の縮図に飲み込まれていた。
パチンコは即勝ちか即止めが一番よく、一瞬で自分が勝者か敗者かの判断がつくのだが今回の彼のような小上がり小下がりを繰り返すような展開になってしまうと自分が何者かわからなくなっており、年収450万円プレイヤーのような状態になっている。下の者に対しては優越感を得られるが600万以上の者を見ると「ははぁー!」と土下座しながら「オレはこんなもんじゃない」と青筋を立て栄進を誓う。銀玉を積み上げたものが勝者という単純明快なパチンコというゲームではこのような成金思考になるのは仕方のないことなのだろう。
だが私まで巻き込まないでほしい。


「ZEN吉!!マジお願い!!金貸して!!チョットでいいから!!」

来たな。

ここで私の時間が動き出す。
本物のニートならここでシカトして牛丼屋に直行できるのだが、この男の取る行動に興味が湧いた。今読んでいるギャグマンガ銀魂」の影響もあるのだろう。

「えー!まじオレも金ないっすよ、、。ほら」

さあ、どう出る銀さん?
逆ギレして暴言を吐いてくるか?怒ってATMに向かう途中、ババアでも轢くかもな、、。そう思いながら財布の中身を男に見せると、

「おーい!千円かよっ!でも、サンキュー。10倍にして返すわ!」

と、私の大切な子供を剥ぎとって行った。

おい!勝手に人の財布に指突っ込んでんじゃねーよ。
それ目の前の女性のパンツに指突っ込むようなもんだからな。まあ、お前ならやりかねないけどさ、、。しかも千円で何できんだよ?リーチすらかかんねーよ。ホント何コイツ??もうデコに金って書いて生きてけよ。


その後彼は一緒に牛丼を食べている時、

「くぅ~!最後の激熱リーチまじで惜しかったなぁー!あれハズすか、、。もうチョットであのヒロイン昇天させれたのにな~!そしたらオマエ、今頃こんな所で牛丼食ってる場合じゃねーぞ。本物のヒロインいる所で昇天中だぞ」

と、目を輝かせていた。
私の貸した千円は唾液の飛び散った牛丼となって涙を流しており、それを見た私の中のニートがこう呟く

「無駄な話に付き合うのも悪くないかもな。なんせ時間は無限にあるのだから、、」



人間は欲望の塊である。
共産主義より資本主義が多く取り入れられているのがその証拠だろう。だがテクノロジーが進歩し労働自体が必要なくなった時、新たな主義が生まれるであろう。
その時必要なのは、積み上げた資産ではなく、積み立てたニート達なのかもしれない、、。