猫好きの女

猫というより人間以外が好きな女であった。あまり明るい話でもないし笑いになる話でもないのだが、彼女との出会いが確実に私の価値観を広げてくれたので、それを忘れないよう、ここに書き留めておきたい。

 

 

 

 

私も良くいるタイプの猫好きである。

基本、生き物は苦手なのだが、気まぐれに近寄ってくる猫にだけは「こいつ、、かわいい奴め、、」と生まれ変わるなら猫になりたいと憧れの存在なのである。私たちのような猫好きの性格は、割りと八方美人が多く、それを愉悦に感じている反面、それと同じくらいの「ちっ。めんどくせーな」を抱えている気分屋たちである。それをおもむろに出して許されるのだから「ああ、わたしは猫になりたい」。正確には猫好きの主人の元で暮らしたい。というのが私たちの切な願いである。

 

 

 

対して彼女。

彼女は猫たちに心底感謝を抱いていた。その証拠に猫たちを呼ぶときは「○○さん、○○くん」。彼らがいるから私は生きていける。私が世話をしているんじゃなくて彼らに助けられてる。というのが彼女の主張であった。なるほど、言ってることは分かるがここまで彼女が思う理由は人間関係が上手く行ってないのだろうと思った私は「素晴らしい考え方ですね。でも、猫好き過ぎて人間愛が減ってしまいそうで少し心配です笑」というメッセージを送った。彼女との出会いは出会い系アプリである。四十代、年相応の写真だったが猫と同化した笑顔に私は惹かれた。

 

 

「そこなんです、、。私もそこは気を付けているつもりなんですが、どうしても人間の汚い部分に目がいってしまって、、。今、お仕事も辞めてしまって、、」

 

 

やっぱりか、、。

まあ、人間関係なんて運みたいなもんだ、、。前向きに捉えよう。

 

 

「お仕事は全然休んじゃいましょう!僕も夏休み中ですし笑。お陰で今こうして楽しいメッセージ出来てるわけですし」

 

 

「ありがとう。コッチにはいつまでいるの?」

 

 

北海道の東。

「道東」は避暑地として人気がある。だが、そこで暮らしている人々の実態はどうなのだろう?そういう空気を肌で感じる旅が私は好きだった。

 

 

「二週間ほど」

 

 

これだけ居座れば得られるものはあるだろう。

 

 

「結構いるのね!」

 

 

「はい。絶対ゴハン行きましょうね!」

 

 

「うん。行こう」

 

 

こうして猫好き同士の邂逅が決定した。

お互いアプリでの出会いに抵抗はなく、次の日喫茶店で会うことになった。古い喫茶店でプカプカ煙草を吸う彼女が妙に魅力的に見えたのは、彼女の雰囲気がどこか現実的ではなかったからである。

 

 

小さく痩せ細っている。化粧はしていなく美容は諦めていると言うが、諦めてこの器量なのだから他の四十路の前でこの発言は控えた方がいいだろう。猫のエサ程の食の少なさが余計な老廃物を生まず、コーヒーと煙草が彼女の栄養源であった。彼女は拒食症を患っていた。

 

 

が、明るい。拒食症=根暗というのはただの偏見だが、何せ今まで出会ったことがないのだからこの勘違いも許されよう。彼女が拒食症になったのは思春期に体重が増えたのがキッカケで、そこからの付き合いらしい。自分で公言する人が少ないだけで拒食症というは案外身近な病だと彼女は言う。私もそう思う。目の前でケタケタ笑う女性が病気だとは思わない。実写の猫が大々とプリントされたパーカーを羽織る彼女に向けた「どんだけ猫好きやねん!」の挨拶ツコッミにも優しく応えてくれた。初デートにその服をチョイスする度胸は私にはない。まるで場末のスナックのママのような安心感である。

 

 

茶店での話は大いに盛り上がり、あっという間に三時間が経っていた。後ろ向きな内容ではなく、お互いの趣味、猫好き愛などを語った。喫茶店を出て、少し散歩に付き合ってくれた彼女がトコトコ着いてくる。視線を落とすと靴にはまたしても実写の猫のプリント。

 

 

「どこで売ってるのそんなの!?」

 

 

「ネット。男ものはないかもねー。一応見といてあげる」

 

 

「いや、いらんわ」

 

 

等身大を魅せる彼女のせいで素の私が釣られて行く。楽しい。こんなに楽しい夏休みがあっただろうか?次の日も、また次の日も会うことにした。

 

 

 

 

道東に来た理由の一つとして職人仲間に会いたかった。

製造業(建設業)は人手不足が追い風になり賃金が軒並み上がっており、高止まりが近づいていた。それは東京の職人から聞いたもので直接体感したものではなかったが、東京を中心に賃上げの余波は広がっており、地方都市の職人たちの財布も肥えていっていることは事実であった。プレカット化が進むほど現場作業員にとって喜ばしいことはなく、クソ重い資材を現場加工することなく組立に直行できるのである。「加工」を省くことで現代の職人たちの体力は余っており、プレカット料として賃金を大引くことも前時代的で好ましくない。結果、私を含め現在職人は「肥える」時代と言っていいだろう。では日本の端、北海道。そのさらに端の道東ではこの恩恵は受けられているのだろうか?それが夏休みの自由研究であった。

 

 

 

結果――受けられてない。

職人が足りているのである。仲間が言うには現金で貰うモグリの職人がこの土地にはまだまだいるらしい。表向きは無職として税金を払うことを毛嫌いしている五、六十代のここの人たちは「節税」とは無縁であり、情報収集を諦めている節がある。目の前の仕事を黙々とこなすだけでは機械化は進まない。建設業に限った話ではなく、レストランや銀行などでも似たような雰囲気が感じられた。地理的に企業誘致も難しく、霧深いこの街では先行きの不透明さだけが人々に蔓延しているようであった。旅行者たちは「わぁ、涼しい!良いところ」などと喜んでおり、地元民が「錆びれたところだよ」と邪推すると、これまた「じゃあ出ればいいじゃん」の邪推が返ってくる。大切なものがあると人は動けない。そう、彼女には猫たちがいた。

 

 

 

 

 

今、私たちは車の中で休んでいる。

彼女の車でドライブを楽しんでいる途中、雨が降ってきたので少し休むことにした。こういう時は真面目な話になることが多く、会話の主導権は車の所有者が握ることになる。

 

 

「本当、ありがとう。貴重な休みアタシなんかに使ってくれて」

 

 

彼女は自己肯定感が根っから低い。

暴言を吐く親の元で育ったらしく、それにこの街の雰囲気が拍車をかけていた。裏切りに会う確率も他所より高くなる。運が悪かった人間に自信を持て、と言っても無意味だろう。

 

 

「アタシなんかって言わないで。今、僕はアタシなんかと一緒にいるの?僕も僕なんかって一万回以上思ったことあるけど口に出さないようにしてるよ」

 

 

「そうだね、、、。ごめん。自信がもてなくて、、」

 

 

「○○さんはただ運が悪かっただけなんだよ。この街の地理的な環境がそうさせてるだけなんだよ。でも良いことも沢山あるよね。野良猫が多いよね。○○さんに拾ってもらって幸せだと思うよ」

 

 

「違うの逆なの。私が命を救ってもらってるの。せめてもの恩返しなの」

 

 

何故だ?

流石に誇張表現じゃないか?猫を見て癒されることはあっても命を救われたなんて普通思うか?過去に自殺未遂があったのか?踏み込んでいい所なのか?

 

 

少し困惑している私に「前に保険の営業やってたって言ったでしょ?」と彼女から踏み込んで来てくれた。そこまでは知っている。独特な雰囲気を放ちながらも、綺麗な言葉と文章を使える彼女はつまはじき者ではなく大人の女性である。

 

 

「別に売りたくなかったの。最低限お金が貰えればそれで良かったの。女同士の陰口もめんどくさかったし早く猫さんたちの家に帰りたかったの」

 

 

それも知っている。

オレが彼女でもそうするだろう。だからウマが合っている。

 

 

「もう毎日色々疲れちゃった所にさぁ、、」

 

 

不幸が舞い降りたのだろう、、。

オレも疲れてる時に限っておつりを間違えられる。

 

 

「所にさあ、、」

 

 

「大丈夫だよ。続けても止めても」

 

 

「襲われたの」。

 

 

 

 

こういう話を聞くのは流石に初めてである。

未遂で済んだらしいが、本当か嘘かはわからない。犯人は単独なのか誰かの差し金なのか、それもわからない。分かるのは今に至るまで彼女の社会人生活は終わってしまったことで、その心の傷の大きさから障害者認定を受けていた。事件後、女性的な身体から決別するために過食嘔吐を繰り返したという。死のうと考え、うろうろしたが度胸が湧かず、再びうろうろしている所に近寄ってくれた猫たちや懸命に生きる虫たちの姿を見て思い止まったという。これ程の事件に遭遇した人に対し「運が悪かった」で済ませる訳には行かず、私は考え混んでいる。雨は降り続けているが彼女は車を走り出した。

 

 

 

「引いた?」

 

 

「うんん。引いてないよ。ただゴメン。運が悪かったで済ませて」

 

 

「うんん。仕方ないよ知らなかったんだから」

 

 

「ありがとう。すごい、、」

 

 

「ん?」

 

 

勉強になった。

と思ったが失礼だろう。かといって思ってもいないことを言うのもどうなのだろう。

 

 

「いや、、。明日も会おうね」

 

 

「うん。もう帰っちゃうしね」。

 

 

 

 

 

最終日は彼女の家で過ごすことにした。

文字通り一軒家の「家」。

両親から離れるため彼女は祖父母の家で暮らすことが多く、祖父母が亡くなった時、引き継いだという。築五十年にもなる家屋の造りは私の実家とそっくりで、そこでのびのびと暮らす猫たちを見ていると安心感が湧いてくる。

 

 

「ああ、わたしも猫になりたい」

 

 

と同時に人間の視点からの危機感も湧いてくる。

雨漏りは大丈夫か?維持費は?障害者年金だけで暮らしていけるのか?

 

 

そんな心配をよそに彼女はお気に入りの動画を見てケタケタ笑っていた。綺麗な別れにしたいのだろう。笑って暑くなったのか部屋着姿になり、彼女の痩せ細った腕が見えた。自傷行為の痕が見える。これも知っていた。生きている実感が欲しい時、そういう気持ちになるらしい。知らないのはこれを見た私がどういう気持ちになるかである。

 

 

彼女の手を取り、抱きしめた。

「そういう気持ち」ではなく愛おしいのである。自分に酔っているだけかも知れないが、ただただ愛おしい。彼女の歴史を知らなければ引いていたかもしれない。これで即引くバカから成長できた。酔ったバカが野暮な質問を投げ掛けた。

 

 

「○○さんは誰かに守ってもらいたいとかはあるの?」

 

 

あるに決まっている。

じゃなきゃ出会い系などやるかバカ。

 

 

「めっちゃあるよ」

 

 

抱きしめた背中から寂しさが伝わってくる。

「俺が守るよ」が言えないならこんな質問するなバカ。

 

 

「でもさ、、アタシなんがさ、、」

 

 

何も言えない。生きろとも、傷つけるなとも。全面的に私が悪い。

 

 

「ごめん。変なこと聞いて。ごめん」

 

 

「うんん。ありがとう」

 

 

反省と共に考えこんでいる。

これから言い訳のオンパレードをする。

酔った勢いで結ばれて幸せになれるのか?距離を置いてみて思ったことが真実なのではないか?この街に賃上げ余波が到達するまでは共倒れじゃないか?そもそもオレ以外に相応しい男がいるんじゃないのか?いや。今思っている真実だけを伝えよう。それが真実だ。

 

 

「○○さんに会えて良かった。○○さんがいなくなったら寂しいよ」

 

 

「アタシも。またね」

 

 

「うん。また」

 

 

と言って別れを告げた。

私たちは未だに真実をさ迷っている、、、。