大谷翔平さまの格言

後出しはズルいのでさっそく言おう。世間の流れには乗りたくないひねくれ者の私だが、彼のプレーは「イチロー」を彷彿させ、単純に生物としての興味が尽きない。この生物を司るセリフは何なのだろうか?はい。わかりました、さっさと言います。「キレたら負けだと思っています」。

 

 

 

 

 

大谷翔平。最早、説明不要。
スーパースターの虜になったのはこの発言を聞いてからのような気がする。と、その前に私たち世代にとって翔平を語る前に素通り出来ない二人がいる。それはイチローと松井。後半まで駄文になるので飛んでもらっても構わない。

 

 

私はスポーツ選手の発言を聞くのが好きで、「この人はどれだけ視聴者の事を考えているんだろう?」と少し高みな見方をしている反面、「連戦の疲れは?インタビュアーの態度は?」といったフォロー側にまわることも忘れないようにしており、なるべく公平な目で選手を見るようにしている。私が特に好きなのはドキュメンタリーのような重いシーンではなく、ローカルな場面でのやり取りであって、それでも彼らは背景にいるファンのために気の抜けきった発言は控えているのだろう。この場面での発言は私たち一般人も参考にできるものが多く、微妙な距離の人間との会話などがそれに当てはまるだろう。イチロー信者であった私はローカル時の彼の発言を多く取り入れたのだが、上手く行くことは少なかった。クールな面白さというのは結果を出した者だけに許される特権であって、脆弱者が使っても反感を買うだけである。というかあれは反感だったのだろうか?反感というのは強者にだけ向けられるものであって、あれはスカシっ屁のような空気だった気がする。




「ZEN吉ってよー、尊敬っつーか好きな人とかいねーのか?」


年の離れた優しい先輩である。
だが、少し裏表が強い所があり、本人もその裏を楽しんでいる節がある。彼とは番記者のような信頼性を築くことは出来ず、そんな奴にはいつものイチロー節をかましてやることにした。


「えーと、、そうですね、、僕はあまりリスペクトってことはしないようにしているんですが、、。僕の力になっている。と、言う面では、、、。それは、イチローさんですね」


素直に「イチローっすね」って言えよ。
普通に寒いだろ。なにが僕だよ?マジで寒いわ。タバコの火消えんだろ。その変な間も止めろ。ってゆうか何でさん付け??お前直属の後輩なんか?


というツッコミを彼から頂ければ全て丸く収まったのだが、その時の私は第二次尖りブームという微妙な空気を放っている痛い時期であった。無視されるほどの敵はいないが笑いも起こらないといった「お前いる?」と思われる可哀そうなキャラである。そんな私に話題を振ってくれたこの先輩は本当に優しいお方なのだが私は彼の「裏」の部分を気にしてスカした態度のままである。自分だってメビウスの如き裏を持っているクセにあざとい奴である。


「あー、はいはいイチローねー!オレはイチローも好きだけど松井も好きだなー!やっぱり大人だなぁって思わされること多いもん!」


アンタも大人だよ。何故ならあなたは今ウソをついている。「松井好き=イチロー嫌い」だ。「イチロー好き=松井好き」は成り立っても逆は成り立たない。コレはもう理屈じゃなく我々日本人に流れている血がそう思わせるのだ。出る杭は叩かれる。別にコレは万国共通のことなのかも知れないが、、。


「僕ももちろん松井も好きですよ。でも我を忘れるくらい好きなのは、、イチローさんだけです。と、いうことになりますね」


「ふーん、、。たとえば?」


やべぇ、、。キレかけてる、、。
松井はそんなことじゃキレないよ、、。


「えーと、、。たとえば、、『イチロー262の言葉』。コレがもう僕、たまらなく好きで」


「へぇ、、。で?何かオマエが実践できてることってあんの?」


ねーよ。
んなもんできる訳ねーだろ。せいぜい2個だっつーの。オマエだって1個も実践できてねーじゃねーか。ダメだ。コイツ頭に血が上ってやがる。ゴジラ松井上陸だ。ここは笑いでも取って穏便に済ませよう。


「実践ですか?じゃあ今から名言しりとり始めましょうか?ふふっ。でもそれじゃあ僕が勝っちゃうし、一服も終わっちゃいますね。はい!これもイチロー流のギャグでした。ははっ」


、、、、、、、、、。


「よし。仕事始めるか」


寒い、、、。寒すぎる、、、。






このやり取りを見てわかるように聖人に成りたいなら万人が松井を目指せばいいだけで、私もそのことは分かっている。では何故、松井のようなグッドガイ賞になりたいと分かりつつもイチローに憧れるのか?それは彼のフォルムに他ならない。特に走っている姿はディープインパクト翔ぶが如く美しく、そして柔らかい。そして20年の時を経てそのフォルムを受け継いだのがお待たせしました「翔平」さまである。


プロのスポーツ選手とはただ立っているだけで美しい「花」だと思う。だがそれだけではスーパースターになることは出来ない。数々の受け答えで発せられた言葉が纏わりついて「華」に昇華するのであって、この種類はそんなに沢山あるわけではない。

 

まずは松井。動きとしては「固い」。そして重い。だが言葉は「柔らかい」。口を真一文字にしたウン!は他者の全てを受け入れられる度量の証明でもある。名は体を表す。「松」とはよく言ったものである。

 

続いてイチロー。動きは柔らかいというか「美しい」。柔らかいという表現では彼らに失礼であり、それにはもちろん翔平も含まれる。イチローの言葉は「鋭い」。何というか適切な表現が難しく、重いわけでも軽いわけでも、かと言って尖っているわけでもない。深く曲がった日本刀のように解析は困難であり、その過程で傷つく危険性がある。ざっくり言うとインタビュアーに安心感を与えるのが松井、危機感を持たせるのがイチローということになり、どちらの華も特別である。

 

最後に翔平。彼はスラムダンクの天才、仙道が好きだと言っているらしく、コレが全ての答えのような気がする。表向きは飄々としていたいのだろう。百年に一人の肉体を持ち合わせた上、マグマのような闘争心を内に秘め、対外的には飄々と対応する。もうバランスが完璧なのである。彼の発言は「曖昧さを美」とすることが多く、曖昧さとはこの上ない優しさであり、日本人の心に深く突き刺さる。だが実際の彼の行動は曖昧さとは真逆であり、全てを遂行してきた結果があの肉体なのだろう。その肉体が国民全ての共感を吸い上げることによって特大の元気玉を生み出し、それを童顔で飄々とコントロールするのだからこの華が散ることは考えづらい。彼が日ハム時代のローカル番組で何気なく言った「キレたら負けだと思っています(笑)」を聞いた時、この青年は食卓にいるおじいちゃんみたいだな、、と私は思った。「○○ちゃんや、、。キレてもいいけど、キレたら負けやで」。これをこの歳で使いこなすこの男はいったい何処まで行くんだろう?と思ったのが数年前。今や全国民が翔平さまを食卓に飾っている。



結局、人間というものは言葉で出来ている。
ここで翔平の格言を全て紹介することはできないが、彼が走る土埃が言葉の羅列に見えた時、あなたも信者の仲間入りだろう、、。