ひと昔前の田舎はバロン諸島
ひと昔前の田舎は動物の放し飼いが横行している時代で、常に命の危機を感じとれたものだ、、、。私が生きていた時代は大昔から見ればかなり安全な時代だったのだが、それでもトリコに登場する最高のインパクトにして最低の捕獲レベル、ガララワニ先輩のような輩は数多く存在し、彼らにはよく鍛えられたものだ、、、。
よくノーガードで生き物とキャッキャ言いながら触れ合っている者がいるが、私は決してそういうタイプではなく、意思疎通ができない人間以外の生き物には基本ビビりまくっており、田舎出身の人間が全員、動物に強いというのは大きな勘違いである。ここで問題なのがこの「意思疎通」。どうして同じ言語を扱う人間同士でもできないコレが動物との間でできようか?仮にそれができていたとしても、それは当事者間の絆であって当時者以外の人間に対しては容赦なくその鎖を喰いちぎってくる。その代表的な生物が犬だと思うのだが、私はまずこの犬という曖昧な表現が好きではない。
「おーいZEN吉~!ウチで犬飼ったから今度遊びに来いよー」
「え?う、うん」
ちっ。余計なことすんなよ。
だが、アイツの家は面白いゲームが揃っている。行かないという選択肢はない。
「バウゥ~~!ヴゥ~ッ」
「どう?このレトリバー?名前はバウ」
いや、こんなのもう熊だろ。
人殺す能力あるだろ。マジで小学生くらいなら殺せるぞ。その名前もやめろ。バウって呼ばれるたびに興奮して殺気立ってんだよ。
命の危険を感じた私はその日以降、そいつの家には遊びに行かなくなった。
まだある。何やら休み時間に女子がキャーキャー言いながら犬の写真を見て喜んでいた時であった。
「ちょっとZEN吉も見て!これウチで飼ってるチワワ。かわいくない?」
「あー。ネズミみたいでかわいいね」
「、、、、、。ネズミじゃねーし」
この女子とはしばらく口を聞いてもらえなくなった。
つまり、「犬」と一言でいっても個体の範囲が広すぎて、興味のないものからすればただの未確認生命体にしか感じとれないのである。この未確認生命体がチワワのように小さいのなら問題ないのだが中型以上になると恐怖の対象でしかなく、飼い主もそれを感じとってか最初のうちは鎖に繋いでいるのだが、しばらくすると犬がかわいそうだ、とかいう妄言を吐き散らして放し飼いをするようになる。
アンタら本当に犬の気持ちになったことあんのか?
だったら最初から飼ってんじゃねーよ。しかも鎖を外されたんなら自由に飛び立ちたいに決まってんだろ。オレが犬でもそうするわ。
案の定、解き放たれたモンスターたちは弱肉強食の世界で過ごすことで、純度100%の野生のオーラを身に纏いながら生きていくことになる。私の住んでいた地域ではコイツらに遭遇する確率は一ヶ月に一回くらいなもので、思ったより少ないと感じるだろうが、野生の世界は甘くはなく、車に轢かれたり、餓死している亡き骸をよく見かけたものである。その分それを乗り越えてきた奴らのオーラは別格であった。
いた!
当時私は8才。100m先に異彩を放っている中型犬を発見した。
えっ!どうしよう!?どうしよう!?
一気に心拍数が上がって、すでにパニック状態になっており、犬は全速力でこちらに向かってきている。
はぁ、はぁ、はぁ。
石。石は、、、?
な、無いぃーー!!!
その距離すでに20m。今でもあの緊張感は覚えている。そして何故あのような行動を取ったのかの説明もできない。
「よ、よう!」
私はアメリカ人がするような挨拶を犬に向かってしたのだが、そんな挨拶を無視してコイツはただ真っ直ぐと通り過ぎていった。
た、助かったぁ~!
死ぬかと思ったぁ~。
この出来事をきっかけに私は、犬と出くわした時はなるべく柔らかく、ただジッとしているのが最適解なのだと学び、実際にその通りであった。犬からしても人間は子供であっても自分よりサイズは大きいのだから戦いを挑むメリットは無いだろう。
犬に対する恐怖心を克服しつつあった私であったが、大型犬はそれを許してはくれない。その怪物の名は、、、、
「シベリアン・ハスキー」
オオカミを原種とする根っからの狩猟犬で、氷のような青い瞳はすべての弱点を見透かしており相手が格上であっても戦いを挑んでくる。
登場の仕方も最高であった。三人で野球をして遊んでおり、ピッチャー、バッター、審判をローテーションで回っていく中、私が審判の時にピッチャーの背後からそれは現れた。それに気付いた私とバッターの子は凍り付き、その恐怖の視線を感じとったピッチャーの子は静かにうしろを振り返る。
「うわぁー!!」
当然のリアクションである。
後ろからノータイムでオオカミが出現したら大人でもこの反応になる。普通の獣であればこのリアクションにびっくりして逃げ出すのだが、このオオカミは微動だにしなく、地元じゃ負け知らずの正にガララワニ状態になっている。
「うわぁ~ん!!」
ピッチャーの子は驚いて転んだときにケガをしてしまい、恐怖と痛みで戦意を喪失している。つまり、私とバッターの子、二人だけでこのガララワニ先輩と戦わなくてはならない。
「ふう、ふう、ふう」
緊張感はマックスである。
10才そこそこの子供にとって、おおげさな表現ではなく本当に命懸けである。
「う゛ぅ~~!」
バッターの子が唸っていた。
私はこの子に自分の命もあずけることに決めた。
ガキ大将気質な彼が敗れるようならオレなんて尻尾で叩かれて終わりだろう、、。なにより彼が手にしているバット。子供が扱える最強クラスの武器だ。これが一発でも入ればさすがの先輩も逃げ出すだろう。援護投石もしないぞ。オレが標的になるかもしれないからな。
「うおーー!!」
行けっ!頑張れ!!
「ワ゛ァンッ!!」
「あっ」
彼は鳴き声にびっくりしてバットを落としてしまった。
いやっ!?何やってんの!!?
そうゆうボケいらないから!!
はい、ウーメン梅田。終わりました、、。
あの時の絶望は今でもたまに夢に出てくる。三人が死を悟ったその時、
「ヤローー!!」
と、ピッチャーの子の泣き声を聞いた私の父親が駆けつけて来てくれたのである。オラァー!!と大声を上げる人間の大人には、さすがにびっくりしたようでオオカミは一目散に逃げていった。
その後このオオカミと会うことはなかった、、、。
今の日本でもこのような地域はあるのだろうか?
エピソードの大小はあると思うが、幼い時に命が震える体験をしたものは自分の限界値を知ることができる。それがいい方に働くかはわからないが生きていく上で、とても大切なことだと私は思う。