トラックの中

私は決して閉所恐怖症というわけではなく、ドラえもんの真似をして押入で寝ていたこともあるし、車中泊をして旅をしたこともある。だが、それらは一人でおこなったもので同じ空間に二人以上の人間がいるとなると、もう次元が変わってくる。今回はそんな誰もが共感できる日常的なストーリーを書いていきたい。


人が居心地の良いと感じる要因はたくさんあると思うが、私が特に大事にしているのは「一人の時間の比率」である。私は一人でいることが好きな人間なので、長時間この黄金比がくずれると色々な支障が出てくる。人との会話の際、オートでやるような笑顔や相づちができなくなり、目線はその人の奥の壁を見るような遠い視線になって、何というか魂が抜けたような状態になるのだ。ある時みんなで談笑中にこの状態になり、「おい!聞いてるか??このムンクの叫びヤローが」という非常に秀逸なコメントをいただき我に返ったことがある。あの先輩には今でも感謝している。そういった経緯もあって、とにかく私は一人の時間を大切にしている。もう黄泉の国へは行きたくない。


ある日、管理職の人間が言ってきた。

「ZEN吉さーん、悪いけど出張行けないかなー?三日間くらいなんだけどー」

「別にいいすよー」

「ほんと!?よかったー!みんな行きたがらないんだよねー」

私は出張が好きだ。旅が好きだからである。自分の車で一人で行けるし、おまけに日当まで付いてくる。この「みんな行きたがらない」というのは、少なくても私のいる建築業界では本当であって、皆が描く出張の王道ルートはこうである。

パチンコで10万勝つ → 夜の街で遊ぶ → 皆に自慢する。

まさに王である。が、大半のものは、

初日に5万負ける → 米粒を食べる日々 → 精神が不安定になる。

この肥溜めコースで終わることとなる。
これを味わったものはサイコロを振ってもすべて「肥溜めに落ちる」のマスに止まるくらいのトラウマを植え付けられることになり、これが「出張に行きたくない」の真実であって、これまでに三桁以上の糞尿たちを見てきた私の主張をどうか信じていただきたい。
つまり私の業界では、逆に出張に行きたい、というものはビギナーを除いて「一人が好きなもの」と「王を目指すもの」この二種類に限られてくるのである。


出発の日、管理職の人間から電話がかかってきた。

「ZEN吉さーん、悪いんだけど今回は○○さんと一緒にトラックで行ってくれないかなー。相手方がどうしても必要な資材があってさ、、。お願いっ!」

なっ!そんな、、。

大きいショックが二つあった。まずは、旅の景色が楽しめないということで、私にとって景色というのは一人で感じるものであって、誰かがいると色もにおいも別物になる。もう一つは、この○○さんが誰かわからない、ということである。二人で行くとは聞いていたが誰が相手でも仕事中にすることは変わらなく別に誰でもよかった。だが、こうなると話は変わってくる。相手先までの道のりは長く、一人時間の黄金比がくずれるのは確定している。せめて周波数が合う相手かどうかを事前に知っておきたかった。


「おーい!ZEN吉~。三日間よろしくなー」

やった!ムンクさんだ!

先程までの怒りが吹き飛んだ。
集合場所で待っていたのは、冒頭で述べた先輩で、敬意をこめて心の中でそう呼ぶようにしている。ムンクさんは兄貴肌の明るい性格で、皆からは下の名前で呼ばれていたため、○○さんと言われても誰か分からなかった。この人のイジリは一級品で、私のような少し変わった奴でも瞬時に笑いに変換する能力を持っており、ムンクの件の時も爆笑に包まれていた。数回しか会ったことのない私の名前を覚えていてくれる懐の深さもある人なので、会話に疲れてぼーっとしていてもこの人なら大丈夫だろう、と思い安心しきっていた。「んじゃ、行こうぜ~」と、トラックに乗り、走り出した30分後、ぼーっとしている私にムンクさんが話しかけてきた。

「おいZEN吉~。楽しみだなー」

「、、、えっ?」

「俺もう出る台、調べてあるからよー、可愛いオネエチャンのいる店探しといてくれよー」

「、、、まかせてください」

そう。忘れてはいけない。彼は王を目指すもの。
ムンクからモンクへのクラスチェンジはすでに終えていた。



場面は変わる。
私達は三日間の出張を終え、トラックで家路についている。隣の男が終始無言である理由は、三日連続6万負けるという天文学的な事象を成し遂げていたからである。

完全なる逆大当たり状態、、。数字も不吉。古来より悪魔が宿ると言われている「6」。
それを三つ。666。彼は今、悪魔王サタンへの確変状態にある。

 


「、、、、、、」

「つまんねーな」

「、、、、、、」

「、、、、、、」

き、気まずい、、。
何でこうなった?
そもそも今日の負けは完全に防げただろ。


三時間前、、。


「ふー。やっと終わったなー」

「終わりましたね。これで帰れますね」

「んじゃ、最後にもう一勝負いっとくか!」

「えっ!?さすがにやめましょうよ、、。あと帰るだけですよ」

「わ、わかってるよ。俺だってもう取り返せるなんて思ってねーよ。でも最後におまえにラーメンくらいおごってやりてーじゃん」

そんな重たいラーメンどうやって食えばいいの?
メデューサの髪にしか見えないんだけど、、。ラーメンっていうかアーメンだからそれ。

案の定、彼は三時間で6万負けるという離れ技を成し遂げ、見事サタンまで転生した。




「、、、、、、」

「、、、、、、」

「、、、、、、」

と、とりあえず何かを話そう。
どんな魔法でもいい。とにかく空気を変えよう。

「あ、あの山から見る景色って綺麗そうですね」

「、、、、、だから何?」

それ言ったら終わりじゃん、、。
会話を打ち消す終の魔法だからソレ。

さすが悪魔王。魔力が段違い。
この魔法を回避するには自分も「えっ?逆にだから何?」と唱え、だから何ループに持ち込むしかないのだが私にはそんな熟練度などなく、直撃を喰らって息ができなくなってきた。


「ドォーーン!!」

!!!

トラックというのは少しの段差で信じられないほど揺れる。普段の優しいムンクさんからは考えられないほどの荒々しい運転によって、ホルダーに置いてあった飲みかけのコーヒーが飛び散った。ぽつぽつと降ってきた雨がアスファルトを真っ黒に染め、車内には先程のコーヒーが染みついている。この地獄のような閉鎖空間に逃げ道はない。



「、、、、、、」

「、、、、、、」

「、、、、、、」

もう、ほんと無理、、。
死ぬ、、。何でもいいから気の引きそうなことを言おう。

「あ、あの傘さした女の人。めっちゃいいすね」

「、、、、、どれ?」

やった!
人間の頃の記憶が残っていた。早く戻ってきてくれ。

「あれっす。あのチェックの」

「、、、、ふーん。で、何回ヤッたの?」

ダメだ!
何だその猿みたい発想は?あんたもう45だろ。いい加減そうゆうのやめろよ。何で全員、性奴隷なんだよ。ホントいつか捕まるぞ。

だが、サタン発言に対し表情は確実に人間味が戻ってきていた。このチャンスは絶対に逃さない。

「いやいや、外っすよ。まあ目の前にいても何もできないすけど」

「ははっ。今度見本みせてやるよ」

やった。
いつものムンクさんに戻った、、。
やっと悪夢がおわった。長かった、、。



ストレスから解放され、ぼーっと景色を眺めていると、ピピピピッ、とムンクさんの携帯が鳴った。

「え~!また~!今行ってきたばっかりじゃーん。で、場所はー?えっ!?オッケー。行くわー」

電話を終えた彼は、

「おいZEN吉~。おれ大阪行ってくるわ~。仕事で関西行くの初めてなんだよな~。また一緒になったらよろしくな」

と、意気揚々と話しかけてきた。


そう。彼は王を目指すもの。
私は、そっと携帯の電源を切りふたたび景色を眺めるのであった、、。