脆弱者で行こう

モテない中年のただの日記です

大海原の中で歯磨きをしよう

私は子供の頃から抱いている小さな夢がいくつかあるのだが、その中の一つが「大海原での歯磨き」である。結論を言うとフェリーの甲板の上で歯を磨いただけなのだが、夢の達成とは案外虚しく感じられるものなのだろう、、、。


皆さんはフェリーにどんなイメージをお持ちだろうか?私は恥ずかしながらタイタニック号のような豪華客船としか思い込んでいなかった。その自由な船で一面に広がる真っ青な海を眺めながらルフィになった気分で歯を磨く。こんな現実的なファンタジーはないだろうと思いつつも、なかなか行動に移せずにいた私にある日朗報が届いた。

「ZEN吉さん、出張行けない?遠いからフェリーで行ってもらいたいんだよね」

「フェリー!?はい!行けますよ」。

二つ返事でOKをした。

やった。出張なんてタダで行ける旅行みたいもんだろ。
しかも今回は船旅。マジで楽しみ。何でみんな嫌がるんだろう?そんなに寂しいか?かえって喜ばれてんじゃねーのか。

私のような出張好きというのは男では少数派らしく、その理由として男は基本的に金のかかる楽しみ方しか知らないことが挙げられる。出張に行きたくない男の言い分はこうだ。

「オレいなくなったら誰が家族の面倒みるんだコラ。一家離散したらオマエ責任取れんのか?」。

いや、別にアンタ死ぬわけじゃないんでしょ。
転勤じゃないから。出張だから。手当て出るんだからそれでアンタの分の食費は浮くだろ。金のかかる趣味しか知らねぇから一人になったら暴走するのが怖いんだろ。つーかただ寂しいだけだろ。

私がここまで彼らにキツイ言い方をするのは、こんなにも出張に行きたくない負のオーラを出されるとコッチの気分まで台無しになるのである。



「おー!けっこういい船じゃん!!天気もいいし最高だなー。第一話『冒険は始まった』つって。へへっ」。

初めての船旅に私の心は少年に戻っており、心配していた波も穏やかで、明日の朝、太平洋から昇る美しい太陽を眺めるイメージを固めていた。そこに出張仲間もぞろぞろと集まってきたのだが、皆、死地に向かうような悲壮感を漂わせていた。

おいおい大丈夫かこいつら?
いい加減あきらめろよ。

人を慰めるキャラではないのだが、しょうがなく声をかけることにした。

「○○さん、今回の出張長いけど頑張りましょうね。顔色悪いけど船苦手っすか?」

「いや、船は大丈夫なんだけどよ、、。小遣いが少なくてよ。一日2500円でどうやって過ごすんだよ、、。ふざけんなよクソが、、、」。

いや十分だろ。
スゲーいい奥さんだろ。女神かよ。よくオマエと結婚できたな。人質でも取ったんじゃねーの。

この人の言い分はタバコで500円、酒とつまみで1000円、残りの1000円でどうメシを食えばいいんだ?という主張であり、聞いていくうちに典型的な破滅型だな、と思い距離を取ることにした。

コイツはダメだ。一緒にいたら船が沈没する。あの若い子にしよう。たぶん初めての出張で不安なんだろう。

「おつかれ!出張初めて?出張つってもやることいつもと変わらないから気にしなくていいんじゃない?○○くん仕事デキるって聞いてるから心強いわ」

「あ、ありがとうございます。仕事のことは気にしてないんですけど、、、。彼女が、、、。オレたち付き合って長いんですけど一カ月も離れ離れになったことなくて、、、。どうなるんだろうって、、、」。

子供かよ。
ちょっとは放っておいてあげれば?しかも今どきケータイの待ち受け彼女の顔にするなよ。めっちゃ美人だし。うらやましいなチクショー。

コイツもだめだな。嫉妬でオレのメンタルに支障が出る。
まあいいや。結局、冒険なんて一人でするのが一番楽しいんだ。明日、朝日を独り占めしてやる。今日は早く寝よう。と思っていると

「ZEN吉~!!みんなで晩酌しようぜ」

と先程の先輩が話しかけてきた。

っち、めんどくせーな。

別れを決心した相手に詰め寄られるほどダルことはないだろう。しかもこの飲み会は絶対にネガティブワード中心の会話になる。出張=地獄だと思っている奴らが前向きな話をするわけがない。よし、断ろう。

「あ、ちょっと今日は早く寝ようと、、、」

「コレよ、オレの嫁がみんなで飲みなさいって、わざわざ渡してくれたやつだから飲もうぜ」

「、、、、、。わかりました。いただきます」。

先程この人の奥さんを想像したのがマズかった。女神様が家計を工面してまで作ってくれた酒席を断れるはずはなく、仕方なく参加したのだが私の予想通り、良くない宴となった。

「金がない、別れる、忙しい、貧乏、不味い、浮気、レス、起たない、もらした、なんでオレだけ」

などのネガティブ成分90%以上の会話が繰り広げられ、私の気分も悪くなっていった。というのも、船内には私たちと同じ境遇のグループが何組もおり、あちこちから似たような会話が聞こえてくるのである。悪酔いというのは酒が悪くて起こるのではなく会話が不味くて起こるのであろう。飲み会自体は短く、早く寝ることはできたのだが悪酔いと船酔いが重なり、最悪の目覚めとなって朝を迎えることになった。


「うぅ、マジで気持ち悪りぃ、、、。外に出て風に当たろう、、。そうだ。歯も磨こう。夢だったんだ、、、」。

フラフラとした足取りで甲板に出ると、生温かい潮風の匂いが更に体調を悪化させた。

「うっ。もうムリ、、。気持ち悪い。マジで吐く、、」。

夢をこんな形で終わらせたくないとギリギリで耐えていたのだが、誤って歯磨き剤を飲んでしまったことが最後の決め手となり、吐瀉物が海へと投げ出された、、、。



二回目の夢に価値はない。
この先、フェリーで歯磨きをしたとしても一回目の記憶が全てである。あの日、昇りゆく朝日の中、青ざめながら口を拭っていた描写が人生の1ページになる。


オレの青春を返せバカヤロー