魂、大気圏突入

美容師さんに恋心を抱く経験は誰もがしたことがあるのではないだろうか?そのことを知っている彼女らは、恋人がいるのにも関わらず、頑なにシングルであることを装っている。私のような愚か者は、それに気付くことが出来ず、気付いた時には魂が大気圏に突入するかの如き衝撃を受けることとなる。


何とも柔らかい雰囲気を持つ女性であった。私は会う前から、この人に一生髪を切ってもらおうと決めており、そのキッカケは電話予約の際のやり取りであった。

「あ、もしもし。お、お疲れ様です、、。あの、、、。カット予約したいんですけど、、、」

しまった。今日は口が上手く回らない日だった、、。

何故かは分からないが私は定期的にこの状態になることがあり、声だけでも「マジでキモい人間」だと相手に想像させることができる。

うわぁ、、マジで恥ずかしい、、。もう切りたい。しかもお疲れ様ってなんだよ。業者かよ。

そんな痴態を彼女は、

「ふふっ。おつかれさまです。カットですね。担当者のご希望はありますか?」

と優しく受け止めてくれた。

この時点で私は恋に落ちており、

「ええと、、。今、対応してくれてる人にお願いしたいんですけど、、」

とすぐさま返した。

モテない男子にとってコレは一種のプロポーズの様なものであって、もしこれでノーと言われようものなら一生美容室に通えなくなく程のトラウマを植え付けられることとなる。

「えっ。ワタシ?ワタシですか??はい!大丈夫ですよ。それではお待ちしております」

彼女の返事はイエス
良かった。一生バリカン坊主頭になるところだった。それからは正にバラ色の新婚生活を送ることができたのだが、楽しいことには必ず終わりが来る。5年間もの間、私のようなものと付き合ってくれた彼女には感謝の気持ちしかない。


私がクイックカットではなく美容室に通う理由は、ゆったりとした時間を過ごしたいのが一番であって、決して彼女にベタ惚れしていただけではないことをご理解してほしい。その上で、彼女はショートカットが似合うサッパリとした顔をしており、美容師というよりは理容師といった親近感を漂わせ、最高の時間を私に提供してくれた。

話変わるけど美容師さんの技術料って安いと思うんだよな、、。一律5000円にしても客来ると思うけどな、、。だってみんな自分で髪なんて切れないでしょ?

彼女との会話は「彼女できましたか?」「いや、まだです」的なやり取りがメインであり、そこに私の失敗談を付け加えて、バラエティーに富んだ会話を楽しむのがいつもの流れであった。こうすることによって私の、独身アピール、失恋の傷の回復、ダメな所の開示、女子との耐性強化、全てを行うことができ、おかげに髪まで切ってもらえるというのが、3500円足らずで出来るのだからこんな良いサービスはないだろう。

よし。
とりあえずオレの情報の開示は済んだ。
もう知られて恥ずかしいことなんて何もない。裸を見られることぐらいだ。その時はアナタのも見せてもらうけどね。後はどれだけ彼女の情報を知れるかだ。素直に、彼氏いるんですか?と聞けばいいのだが、それはできない。

なぜならオレは、彼氏いるんですか?の質問が、今日生理ですか?と同じくらい失礼なことだという意味不明な思い込みをしており、その根底には「はい!付き合って3年の彼氏がいます」という答えが返ってくるのを恐れているのだろう。おそらくこの性格は一生治らない。ならば今できることは彼女の言動から彼氏の有無を推測することだ。自分の希望は絶対に持ち込むな。こういうのは得意だろ。

「お父さんとの晩酌が面倒くさい」
「兄に車を借りた」
「友達とコンサートに行った」
「家族で沖縄に行った」

これらの言動から推測するに、、。
これはシロじゃないか??
怪しいのは友達とのコンサートだが、確かアレは嵐のコンサートだったはず、、。嵐のメンバーが彼氏だった以外に男の影はないだろう。それと彼女は間違いなく実家暮らしだ。わざわざお父さんの酒のローテーションまで教えてくれた。そんな手の込んだウソはつかないだろう、、。つまり彼氏もいない、、。

だってオレがこの美容室に通い始めてから5年近く経つけど、その間ずっと実家暮らしだよ。さすがに彼氏嫌がるでしょ。もうお父さん=彼氏のパターン以外に成り立たない構図だよコレ。しかもお父さんの職業はオレと同じだったはず、、。もしかしてアピールされてるのはオレの方だったりして、、。

よし、行こう。後はオレに勇気があればいいだけだ。



告白のタイミングは、シャンプー台で目隠しをされている時にすることにした。これだとお互いの顔を見なくても済むし、温められたタオルによってリラックスした状態で告白を行うことができる。


「そういえば、、。最近何か変わったことありましたか?」


私にはこの告白が精いっぱいであり、彼女にはコレで全てが伝わるだろう。男の考えていることなど女子には全部お見通しである。全神経を耳に集中させた。


「そーですねー、、、、。実は、、、」

あ、アカン。終わった、、。

このセリフには彼女の優しさが全て込められており、沈黙の間合いと声のトーンは、静かに事実を伝えてくれた。すでに私の体からは魂が飛び出ており、後は、この魂がどこまで飛んでいくかである。

「先月、結婚しました」

ズッコーン!!

ここで大気圏突入。


そこから魂が戻ってくるまでの十数秒間は何をしたかは覚えていない。本当にシャンプー中で良かった。おそらく、こうなることを本能で分かっていたのだろう。



その後の会話でわかったことは、旦那さんは彼女にとって幼馴染みのような存在であり、付き合った期間は7年、職業は私と同じであった。

なるほど。
私の推測は間違ってはいなかった。最後まで彼氏の存在を匂わせなかったのは、私が客だからではなく、いち人間として傷つけたくなかったのであろう、、、。


美容師さん。バラ色の日々をありがとう。